憲法案の漏洩の疑い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 08:42 UTC 版)
大日本帝国憲法の草案は井上毅が秘密裏に起草したものだが、井上とともに憲法起草に関わった金子堅太郎が後に語ったところによると、国友重章が憲法草案の一つを漏洩したと疑われる。その経緯は以下の通りである。 国友は井上の秘書として、その重要書類の多くを浄写する任務をもっていたが、井上と意見が合わず、1887年の春に辞職して去る。同年8月下旬、星亨らが「原規」と題する文書を秘密出版する。さらに同年末から翌年にかけて、上野富左右と荒川高俊が「原規」を他の機密文書と合本し、『西哲夢物語』と題して秘密出版する。この「原規」は、井上の憲法起草の参考に備えるために、内閣顧問のドイツ人法学者ヘルマン・ロエスレルが試草した憲法案であった。 金子の回想によると、漏洩したロエスレル案は井上しか持っていなかったため、漏洩の疑いは井上に掛けられた。井上が心痛して段々と考えるに、井上の秘書として重要書類を浄写していた国友がロエスレル案を漏洩したのかもしれないということに思い当たった。この件は、国友が行方不明であるし、漏洩したのは参考資料であって憲法草案その物でもないので、深く追求する必要もあるまいということになり、そのまま放置されたという。以上が金子の回想であり、これは井上が国友を疑ったという話にすぎないが、昭和になって『西哲夢物語』が明治文化全集で復刻された際には、解題で「井上毅の秘書であつた国友重章が、免職された復讐に漏したものだと云ふことが分つた」と断定されている。
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