不敬事件とは? わかりやすく解説

内村鑑三不敬事件

(不敬事件 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 08:05 UTC 版)

第一高等中学校本館

内村鑑三不敬事件(うちむらかんぞう ふけい じけん)は、内村鑑三が、不敬を理由に第一高等中学校の教職を追われた事件である。第一高等中学校不敬事件(だいいち こうとうちゅうがっこう ふけい じけん)ともいわれる。

内村は1890年明治23年)から第一高等中学校の嘱託教員となったが、その年は10月30日に第一次山県内閣のもとで教育勅語が発布された年でもあった。翌1891年明治24年)1月9日、第一高等中学校の講堂で挙行された教育勅語奉読式[1]において、内村が天皇晨筆の御名(おそらくは明治天皇の直筆ではなくその複写)に対して最敬礼をおこなわなかったことが、同僚教師や生徒によって非難され、それが社会問題化したものである。敬礼を行なわなかったのではなく、最敬礼をしなかっただけであったが、それが不敬事件とされた。この事件によって内村は体調を崩し、2月に依願解嘱した。

東京帝国大学教授井上哲次郎が激しく内村を攻撃したことで有名である。

日本組合基督教会金森通倫は、皇室崇拝、先祖崇拝は許されると主張したが、日本基督教会の指導者植村正久はこれを認めなかった[2]。植村は「勅語に対する拝礼などは憲法にも法律にも教育令にも見えないことで、事の大小を別とすれば運動会の申し合わせと同様のもの、このようなことが解職の理由になるのは不合理だし学生のモッブ然とした内村糾弾運動を放置し迎合するのは教育上もおかしい」という論陣を張ったが、さほどの影響はなかった。

山本七平はこの経緯について「日本人が宗教的に寛容だと言うのはこの事件のことを考えると信じがたく、ある一点に触れれば恐るべき不寛容を示すのであって、ただ欧米と不寛容の基準が違うに過ぎない」と述べている[3]

脚注

  1. ^ 『官報』第2260号、明治24年1月14日、p.110
  2. ^ 『日本開国とプロテスタント宣教150年』 第五回日本伝道会議編、いのちのことば社
  3. ^ 『空気の研究』 文春文庫、P60-61

参考文献


不敬事件

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前島豊太郎」の記事における「不敬事件」の解説

創刊直後1881年明治14年10月8日寺町小川座で「事物変遷論」を演説し専制君主制から立憲君主制への移行主張したところ、「天子大賊第一等」と発言したとして臨場していた警部香取新之助等に告発され帰宅したその夜警察拘引された。 1881年明治14年10月21日静岡裁判所より伺いを立てられた司法卿大木喬任は、「著作文書若く画図肖像」のみを対象とする讒謗律第2条乗輿讒毀罪を新律綱領断罪無正条により類推適用し、12月23日静岡裁判所において禁獄3年罰金900円が言い渡された。なお、不敬罪罪刑法定主義定めた旧刑法1882年明治15年1月1日施行された。 1882年明治15年3月27日上告棄却により井宮監獄入獄し先に投獄されていた荒川高俊同室した。監獄内では定期的に囚人に『孟子』を講義し1883年明治16年2月頃からは署内使用する罫紙の摺立に従事した1884年明治17年6月同志義援金により罰金900円が完納され、1885年明治18年2月25日仮出獄した。1885年明治18年11月出獄記念し駿遠各地旅行して同志名士訪れ民衆からも歓迎受けた

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