夏期講談会とは? わかりやすく解説

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夏期講談会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/11 09:02 UTC 版)

夏期講談会(かきこうだんかい)は、1900年から1902年まで年1回、内村鑑三が主催した聖書の講演会である。

1900年(明治33年)、『東京独立雑誌』の主筆であった内村鑑三は、第58号と第59号で夏期講談会を計画し、広告した。しかし、1890年7月に東京独立雑誌社は解散したため、内村一人で責任を引き受けることになった。大島正健松村介石留岡幸助らが講師として応援した。

1900年7月25日より8月3日までの10日間、聖書を中心に道徳、文学、歴史などのキリスト教的「講究会」が東京府角筈の女子独立学校で80名が寝食を共にして行われた。主な参加者は、井口喜源治荻原守衛、森本慶三、小山内薫らであった。

第2回は1901年に角筈で行われ、浅野猶三郎、志賀直哉などが加わった。第3回は1902年7月に同じく角筈で行われ、大島正健、黒岩涙香津田仙、山県五十雄などが講師になった。この会では大賀一郎、海保竹松、斎藤宗次郎青山士有島武郎などが参加した。

この3度にわたった講談会が終わった後、参加者の有志によって角筈聖書研究会が作られた。それにより、内村鑑三の無教会派の運動が展開されることになった。

参考文献




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