元和の大殉教とは? わかりやすく解説

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元和の大殉教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 07:54 UTC 版)

元和の大殉教(げんなのだいじゅんきょう)とは、江戸時代初期の元和8年8月5日1622年9月10日)、長崎の西坂でカトリックキリスト教徒55名が火刑斬首によって処刑された事件である[1]。日本のキリシタン迫害の歴史の中でも最も多くの信徒が同時に処刑された。


注釈

  1. ^ 場所は一般の刑場ではなく、時津街道沿いで当時は長崎市外の小高い丘であり、26聖人の殉教の処刑場でもあった。現在の西坂公園。
  2. ^ 「江戸時代に長崎で火あぶりの刑という形で処刑されたキリスト教徒達がいたが、その時の処刑地(殉教の地)の写真が見たい。現在碑の建っている場所は実際の場所ではない(長崎県西坂の丘)」という問い合わせに対する案内より。長野市立長野図書館 (2310222) (2000年7月7日). “レファレンス事例詳細”. 国立国会図書館. 2018年6月18日閲覧。

出典

  1. ^ 「元和の大殉教」”. キリシタン博物館. 2022年7月7日閲覧。
  2. ^ Bienheureux Martyrs de Nagasaki”. Nominis. 2022年7月7日閲覧。
  3. ^ 23.元和大殉教”. Laudate 女子パウロ会. 2022年7月7日閲覧。
  4. ^ 結城了悟 “2.木村という平戸の侍” | 日本キリシタン物語. Laudate 女子パウロ会公式サイト
  5. ^ a b 桐生敏明「末次平蔵と木村一族」『長崎貿易と背教者たち』. Puboo


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元和の大殉教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:45 UTC 版)

禁教令」の記事における「元和の大殉教」の解説

詳細は「元和の大殉教」を参照 元和年間での一連のできごと機に幕府キリスト教徒発見棄教強制改宗)を積極的に推進していくようになる京都所司代であった板倉勝重キリシタンには好意的で、そのため京都には半ば黙認される形でキリシタン多くいた(先述の「デウス町」の住人)。しかし、秀忠元和2年1616年)に「二港制限令」、続けて元和5年1619年)に改め禁教令出し、勝重はこれ以上黙認できずキリシタン牢屋入れた。勝重は秀忠お目こぼし得ようとしたが、逆に秀忠キリシタン処刑火炙り)を直々に命じた。そして同年10月6日市中引き回しの上京都六条河原52名が処刑される京都の大殉教)。この52名には4人の子供が含まれ、さらに妊婦1人いた。 そのような情勢元和6年1620年)、日本への潜入企てていた宣教師2名が偶然見つかる(平山常陳事件)。この一件によって幕府キリシタンへ不信感高め弾圧へと踏み切るキリスト教徒大量捕縛を行うようになり、元和8年1622年)、かねてより捕らえていた宣教師修道会士と信徒、及び彼らを匿っていた者たち計55名を長崎西坂において処刑する(元和の大殉教)。処刑され55名には3歳、4歳5歳7歳12歳の子供が含まれていた。これは日本二十六聖人以来宣教師対す大量処刑であった続けて1623年江戸で55名、1624年東北108名、平戸38名の公開処刑(大殉教)を行っている。 一方でこれらの大弾圧いち早くヨーロッパへ伝えられ布教熱を引き起こしたとも言われる例えドミニコ会宣教師は、この後日本への潜入潜伏試みていた。

※この「元和の大殉教」の解説は、「禁教令」の解説の一部です。
「元和の大殉教」を含む「禁教令」の記事については、「禁教令」の概要を参照ください。

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