日本基督教団とは? わかりやすく解説

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にほん‐キリストきょうだん〔‐ケウダン〕【日本基督教団】


日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 09:05 UTC 版)

イエス=キリスト
降誕 十字架 復活
使徒 教会 聖伝


注釈

  1. ^ 略称については、日本基督教団内部または関係者は「教団」と呼ぶが、他の教派(主にプロテスタント福音派)が「『教団』は日本基督教団だけではない」との立場から「日基」「日基教団」の略称で呼ぶことがある。

  1. ^ a b 宗教年鑑平成28年版 2016, p. 120.
  2. ^ a b 『キリストこそ我が救い-日本伝道150年の歩み』日本基督教団日本伝道150年記念行事準備委員会
  3. ^ 統計 Statistics|日本基督教団公式サイト”. 日本基督教団 (2021年11月11日). 2022年6月8日閲覧。
  4. ^ 『信徒の友』2006年5月号
  5. ^ 金田隆一『戦時下キリスト教の抵抗と挫折』新教出版社
  6. ^ 『教団時報』第213号 日本基督教団1942年1月15日発行
  7. ^ 『日本基督教団史資料集第二巻』125-126
  8. ^ 『ホーリネス・バンドの軌跡』新教出版社
  9. ^ 井戸垣彰 『キリスト者であることと日本人であること』いのちのことば社
  10. ^ 金田隆一 『戦時下キリスト教の抵抗と挫折』新教出版社
  11. ^ 『特高月報』1942年11月号
  12. ^ 『日本基督教団史資料集第二巻』131
  13. ^ 中村敏『日本キリスト教宣教史』いのちのことば社
  14. ^ a b 金田隆一『戦時下キリスト教の抵抗と挫折』新教出版社
  15. ^ 中村敏『日本における福音派の歴史』いのちのことば社
  16. ^ 『教団時報』1942年12月15日
  17. ^ キリスト教学校歴史研究会『主を畏れる-資料に見る戦時下の金城学院と基督教』キリスト新聞社
  18. ^ 『日本基督教団資料集』第三巻
  19. ^ 安藤肇『教会の戦争責任・戦後責任』いのちのことば社 ISBN 4264026989
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  23. ^ 『教会の戦争責任・戦後責任』いのちのことば社
  24. ^ <研究ノート>「小崎道雄所蔵資料」についての紹介と解説原誠 同志社大学神学部
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  26. ^ 戦争責任告白
  27. ^ 『日本基督教団史資料集第四巻』日本基督教団出版局
  28. ^ a b 中村敏『日本キリスト教宣教史』いのちのことば社
  29. ^ 中村敏『占領下の日本とプロテスタント伝道』福音主義神学会
  30. ^ 日本基督教団と在日大韓会基督教会総会との協約
  31. ^ 日本基督教団 実録 教団紛争史小林貞夫 東海教区・日下部教会 初版2011年12月 ISBN 978-4-905239-07-9 C0016
  32. ^ 日本基督教団 資料[リンク切れ]
  33. ^ 【4715号】常議員(信徒)プロフィール - 日本基督教団公式サイト
  34. ^ 『キリスト新聞で読む戦後キリスト教史』キリスト新聞社
  35. ^ 聖餐の乱れについて
  36. ^ 日本基督教団(日本キリスト教団)資料[リンク切れ]
  37. ^ K教師に対する「戒規申し立て」に憂慮する有志の会
  38. ^ 岐路に立つ日本基督教団 退任勧告決議をめぐって
  39. ^ 彷徨う聖餐共同体
  40. ^ 「唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会」が建てられるために
  41. ^ 聖なる闘い、聖なる連帯――生き残ることが出来るか
  42. ^ 山口隆康「日本基督教団紅葉坂教会における違法な聖礼典の執行の問題」について(東京神学大学第39回教職セミナーにおける講演)
  43. ^ キリスト新聞2007年1月号
  44. ^ 『福音と世界』2010年3月号「北村慈郎牧師に「免職」戒規 編集部」
  45. ^ 日基教団 未受洗者配餐で北村慈郎牧師へ 史上初の「免職」戒規適用 2010年2月27日 Archived 2014年12月27日, at the Wayback Machine.
  46. ^ 同志社大学文学部神学科は日本西部神学校への合同を拒み、独自の神学教育を継続した(同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年、327-330頁)。
  47. ^ 官報』 1947年6月24日
  48. ^ 『日本キリスト教歴史大辞典』 教文館、1988年、22-23頁
  49. ^ 聖路加病院とチャプレンに110万円の賠償命令 元患者の女性が性被害訴え”. クリスチャントゥデイ (2022年12月23日). 2023年9月17日閲覧。
  50. ^ 日本基督教団所属教師による「性暴力訴訟」に関する判決を受けて”. 日本基督教団 (2022年12月28日). 2023年9月17日閲覧。
  51. ^ 聖路加国際病院のチャプレンによる性暴力事件について”. 日本聖公会 (2023年4月25日). 2023年9月17日閲覧。
  52. ^ 聖路加チャプレン事件の被害女性、日本基督教団と日本スピリチュアルケア学会に要望書”. クリスチャントゥデイ ( 2023-09-13). 2023年9月17日閲覧。



日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/28 08:24 UTC 版)

松尾武 (牧師)」の記事における「日本基督教団」の解説

1941年(昭和16年)、中央神学校閉鎖に伴い1942年(昭和17年)より日本基督教団麹町教会牧師として奉仕する1945年(昭和20年)5月米軍空襲により会堂焼失する松尾家族疎開先である宮城県大松沢村(現大郷町)に身を寄せる

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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 02:33 UTC 版)

公会主義」の記事における「日本基督教団」の解説

日本基督教団は、2009年の日本伝道150年記念宣言で、「日本基督教団は神が働きたもう歴史必然により生まれた公同教会であり、簡易信条公会主義伝統受け継いでます。」と宣言した

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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 04:39 UTC 版)

北森嘉蔵」の記事における「日本基督教団」の解説

日本基督教団信仰告白起草し、その解説書いている。

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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/06 08:37 UTC 版)

海老沢亮」の記事における「日本基督教団」の解説

1941年(昭和16年) に日本基督教団成立時は、出版局長と東亜局長兼任する北支教会訪問中に終戦迎え侵攻してきたソ連兵抑留される。

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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:47 UTC 版)

福音派」の記事における「日本基督教団」の解説

日本基督教団はエキュメニカル派世界教会協議会系)として福音派から区別される歴史的経緯神学的立場違いから、日本基督教団の指導者福音派指導者の間には溝がある。宗教団体法により成立した日本基督教団に、戦前から存在した福音派教会多く統合され教団福音派包含していたが、戦後時点でほとんどの福音派教会が日本基督教団を離脱した。また戦時中段階から、日本キリスト改革派教会創立者岡田稔牧師牧会する教会は、日本基督教団を脱出し単立教会となった。日本基督教団内部には教会派社会派対立があるが、福音派はこれに関わっていない。「日本基督教団をはじめとするエキュメニカルの諸教会は・・社会派教会派分極化し行った。それに対し福音派一致協力の道を歩んで行った。」 日本基督教団内の教会派自身は「社会派対比して社会的な取り組みより教会イエス・キリスト十字架復活によって示され神の愛による人間の罪からの救いを生活、態度言葉によって伝え伝道によって社会積極的に出て行くことを重視する教会関係者」と自己定義するが、教会派聖書観植村正久高倉徳太郎の線にあり、教会派福音派聖書観異なっている。この態度は、神学聖書学自体否定するほど敬虔主義的な信仰姿勢とも定義される

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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:51 UTC 版)

日本基督教団改革長老教会協議会」の記事における「日本基督教団」の解説

詳細は「日本基督教団」を参照 昭和入り時代戦争へ進んでいく中で、日本基督教会は自ら主導的な役割果たし1941年に日本基督教団を成立させ、その第一部となる(詳しく記事日本基督教団参照)。そこには国家主導宗教統制屈したという側面があると同時に日本基督公会、および組合教会との合同目指し日本基督一致教会教会一致志向が、国家圧力をも利用してその宿願果たしたという側面もまた認められる

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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 00:38 UTC 版)

日本基督教会」の記事における「日本基督教団」の解説

1940年10月皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会開催して教会合同宣言1941年6月24日-6月25日富士見町教会会場として創立総会開かれ、日本基督教団が成立した日本基督教会大会議長富田満が日本基督教団トップ統理者に就任1942年1月11日には、富田満が日本基督教団統理として伊勢神宮参拝し天照大神教団設立報告し発展を希願する。同年11月開催され第2回日本基督教団総会にて部制廃止決定

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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 04:40 UTC 版)

神の痛みの神学」の記事における「日本基督教団」の解説

この神学が日本基督教団の現状維持正当化のためのものだとする指摘もある 。

※この「日本基督教団」の解説は、「神の痛みの神学」の解説の一部です。
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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/27 03:48 UTC 版)

皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」の記事における「日本基督教団」の解説

日本基督教団は現代使徒書簡日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を大東亜共栄圏キリスト教徒送って呼びかけた。「しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は来た、わが皇紀二千六百年の祝典盛儀前にしてわれら日本のキリスト教教会教派東都一角集い、神と国との前にこれらの諸教派在来伝統慣習機構教理一切差別払拭し、全く外国宣教師たち精神的物質的援助羈絆から脱却独立し、諸教派打って一丸とする一国教会となりて、世界教会史先例類例見ざる驚異すべき事実出来したのである。これはただ神の恵み佑助にのみよるわれらの久しき祈り聴許であると共にわが国体の尊厳無比なる基礎に立ち、天業翼賛皇道倫理を身に体した日本人キリスト者にして初めてよくなしえたところである。かかる経過経て成立したものが、ここに諸君呼びかけ語っている「日本基督教団」である。」

※この「日本基督教団」の解説は、「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」の解説の一部です。
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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 17:21 UTC 版)

宮城遥拝」の記事における「日本基督教団」の解説

戦前日本のプロテスタント教会宮城遙拝偶像礼拝として問題視した。1941年日本のプロテスタント教会多くは、日本基督教団に統合され国家監督下に置かれ宮城遥拝実施された。日本基督教団は皇室が「日本国民宗家」であることを受け入れ1942年教団統理伊勢神宮参拝行った他方宮城遙拝実施しない教会弾圧され牧師信徒投獄されることもあった(ホーリネス弾圧は、これとは違う次元計画実行され国家方針に不従順な教会対す見せしめ傾向強かった)。戦時下敵国スパイ活動拠点ともなりかねない教会特別高等警察監督下に入り礼拝の中で君が代斉唱国旗掲揚宮城遥拝が行われた。この傾向大都市より地方ほど厳しく、その地域教会主管する牧師思想によっても差が大きかった戦後50年に当たる1995年には、明治学院が「明治学院戦争責任戦後責任告白」、日本福音キリスト教会連合が「第二次大戦における日本教会罪責に関する私たち悔い改め」を発表するなどした。

※この「日本基督教団」の解説は、「宮城遥拝」の解説の一部です。
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日本基督教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 14:47 UTC 版)

日本聖教会」の記事における「日本基督教団」の解説

1939年政府連絡奉仕の必要のために、基督教連盟加入した。しかし、信仰上の相違のために福音主義教派連合組織として、1939年9月東亜聖化同盟結成した。そして、純福音派合同可能性探ったが、教派合同の中で提携目指すことになった1940年の「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」の当日に、臨時総会開いて合同参加決定した。日本基督教団が成立する直前1941年3月23日函館聖教会牧師小山宗祐獄中死したが、1941年6月24日日本基督教団成立の際には、第6部として加入した第6部の代表は車田秋次で、常議員車田小原十三司米田豊だった。小原教団国外伝道局長に選らばれた。

※この「日本基督教団」の解説は、「日本聖教会」の解説の一部です。
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