耶蘇基督之新約教会とは? わかりやすく解説

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耶蘇基督之新約教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 05:08 UTC 版)

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耶蘇基督之新約教会(いえすきりすとのしんやくきょうかい)はプロテスタントの教派の一つである。

日本郵船の社員であった森勝四郎(1873年-1920年)が客の置き忘れた聖書を読んで回心した。そして、伝道者を志して、明治学院プリンストン大学神学部で学んだ。帰国後、高知県高岡で伝道活動を開始して群れを形成した。

1920年(大正9年)の森勝四郎の没後に、野中一魯男(1884年-1951年)が後継者になった。森がなくなる前に、野中を東京に派遣して、世田谷区の経堂で集会を持った。

1931年(昭和6年)の宗教団体法の成立に伴い、野中は東京府高知県愛知県静岡県兵庫県の集会を耶蘇基督之新約教会として届け出た。

1941年(昭和16年)9月11日、野中を初めとした38人が治安維持法違反で一斉検挙された。容疑は、東京の集会の信者の熊沢とよの軍刑違反の嫌疑である。取調べの結果、教会が、「国体否定」「不敬思想」などの不法な教理を発見したという内容だった。結局、日本基督教団には加盟せずに宗教結社として戦中をすごした。

野中は1943年(昭和18年)5月に第一審の判決で、懲役2年6ヶ月になった。実刑判決を受け服役して、1944年(昭和19年)6月に多摩刑務所を出所する。

1945年(昭和20年)の終戦と同時に伝道を開始した。西荻窪に移り、イエス・キリストの教会と称し単立教会として伝道を続けた。

1992年(平成4年)に日本福音キリスト教会連合に加入し、現在は、西荻南イエス・キリストの教会と称している。

特色

参考文献

  • 中村敏「日本における福音派の歴史」いのちのことば社、2000年
  • 川口葉子・山口陽一『知られなかった信仰者たち―耶蘇基督之新約教会への弾圧と寺尾喜七「尋問調書」』いのちのことば社、2020年、ISBN 9784264041450



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