国家総動員と宗教
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特に留意しなければならないのは、1938年4月1日に第一次近衛内閣が制定した国家総動員法によって、「言論出版 - 新聞・出版物の掲載制限」が始まり、総力戦の遂行を目的として宗教団体を動員させるため、宗教教化方策委員会官制(1944年勅令第50号)により、宗教教化方策委員会が設置される。文部大臣の監督に属した委員会で、宗教団体による教化の方策について、重要な事項を調査審議するものであった。 この時期においては、大日本帝国憲法第31条 原文 第三十一條 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ 現代語訳 第三十一条 本章に掲げた条項は戦争時または革命の場合において天皇が行う大権の施行を妨げてはいけない 註:本章とは「第二章 臣民權利義務 第18条から第32条まで」を指す。 及び、「治安維持法」(1941年3月10日)の改定により第7条に以下の規定があり、 原文 第七條 國體ヲ否定シ又ハ神宮若ハ皇室ノ尊厳ヲ冒涜スベキ事項ヲ流布スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ從事シタル者ハ無期又ハ四年以上ノ懲役ニ處シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ爲ニスル行爲ヲ爲シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ處ス 現代語訳 第七条 国家体制を否定し又は神宮若しくは皇室の尊厳を冒涜する事項を流布することを目的として結社を組織する者又は結社の役員その他指導者たる任務に従事している者は無期又は四年以上の懲役に処し、それを知っていて結社に加入した者又は結社の目的遂行のためにする行為を行った者は一年以上の有期懲役刑に処す の条項が適応され、当時人権とされていた事柄に関しては大幅に制限を受けていた。例としては、津田左右吉と岩波書店が被告となった津田事件が挙げられる。 更に、外国人宣教師がかかわった宗教団体への弾圧事件は、「国防保安法」(1941年3月7日)の以下の条文によって生じたとされている。 原文 第四條 外國ニ漏泄シ又ハ公ニスル目的ヲ以テ國家機密ヲ探知シ又ハ収集シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス、前項ノ目的ヲ以テ國家機密ヲ探知シ又ハ収集シタル者之ヲ外國ニ漏泄シ又ハ公ニシタルトキハ死刑又ハ無期若ハ三年以上ノ懲役ニ処ス 現代語訳 第四条 外国に漏洩し又は公にする目的を以て国家機密を探知し又は収集したる者は一年以上の有期懲役に処す、前項の目的を以て国家機密を探知し又は収集したる者これを外国に漏洩し又は公にしたときには死刑または無期懲役もしくは三年以上の懲役に処す 当時の宗教界においては、新興教団は終戦の宗教団体法廃止まで行政上、類似宗教と称されていた。類似宗教については、大正年間から終戦までの天理研究会、大本、ひとのみち、救世軍、灯台社、ホーリネス弾圧事件、耶蘇基督之新約教会、安息日再臨教団、創価教育学会、新興仏教青年同盟などへの事件が注意すべきものであろう。
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