国家統制への道程とは? わかりやすく解説

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国家統制への道程

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 05:34 UTC 版)

日本発送電」の記事における「国家統制への道程」の解説

1926年その後河川行政大きく転換させる一つ私案発表された。東京帝国大学教授内務省土木試験所長のに就いていた物部長穂による河水統制計画案がそれである。物部はこの案において、「治水洪水調節)と利水上水道農地灌漑水力発電)を総合的かつ効率的に行うためには多目的ダムによる河川開発が最も有用であり、これを有効に行うためには水系一貫開発が望ましい」と主張した。これは後に河川総合開発事業と名を改め現在に至るまで日本における河川行政基本となっている。さらにこの中で物部は、「これら河川施設有機的に運用するには、公平な立場立脚している河川事業者、すなわち国家による統制が望ましい」とした。この河水統制計画案は、内務省内務技監当時日本における河川行政第一人者であった青山士あおやま・あきら)によって採り上げられ以後内務省はこの物部案を国策として強力に推進する姿勢転じた同時期、鶴見騒擾事件始めとした無秩序激烈な市場争い繰り広げていた電力業界に対し逓信省官僚中には民間には電気事業任せられない」と考える者も出始めていた。 1927年昭和2年)、電力業界監督する逓信省電気局は、新進気鋭官僚9名を選び内部組織である「臨時電気事業調査部」を設置今後電力行政について新たなる方針検討するよう指示した。そして翌1928年昭和3年)の秋に最終結果答申された。その内容とは、後の日本発送電につながる半官半民国策会社設立してそこに電力開発全て委ね資源適正開発低廉電気料金による安定供給を行うことが重要であるというものであった逓信省はこの答申をさらに検討した上、1932年昭和7年4月電気事業法改正した12月には施行にともない電力資本利益寛容電気委員会設置した1937年昭和12年)より第三次発電水力調査実施したが、その根幹にあったのは、先に物部発表し内務省国策とする河水統制計画則った水系一貫多目的開発沿った水力発電開発調査であったこのころから次第に、内務官僚逓信官僚は、重要な電気事業河川事業同様に国家管理として統制するという方向性持ち始めていた。 当時日本満州事変勃発以降軍部次第台頭していった。特に台頭していたのは「統制派」と呼ばれるグループであった。彼らは自由主義経済否定して国家による統制経済を行うことで戦時体制構築強化して行くことを主眼においていた。五・一五事件二・二六事件経て対立する皇道派粛清することで実権獲得した東條英機統制派面々は、私企業利益より公益優先することを主張していた企画院内務逓信官僚などと結託し本格的な統制経済構築し始めた。そしてその標的となったのが電気事業であり、1938年昭和13年)、第73回帝国議会に「電力国家統制法案」が上程されのである

※この「国家統制への道程」の解説は、「日本発送電」の解説の一部です。
「国家統制への道程」を含む「日本発送電」の記事については、「日本発送電」の概要を参照ください。

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