東京帝国大学教授
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:14 UTC 版)
1887年(明治20年)に大学院に進学後、そのまま大学に残り1890年(明治23年)に助教授就任。1890年9月、磁気歪を研究してニッケル線に圧と捩りを与えると反磁性化することを確定した。1892年7月25日、田中館愛橘と長岡は「濃尾地震に伴ふ等磁力線の変位」を発表。1902年8月4日、長岡と本多光太郎は「鋼、Ni、Co、Ni鋼の磁歪」を発表。 1893年(明治26年)から1896年(明治29年)にかけドイツに留学し、ルートヴィッヒ・ボルツマンのもとで学ぶ。帰国後、教授に就任。以来、1926年(大正15年)に60歳で定年退職するまで東京帝国大学(1897年に帝国大学から改名)教授を勤めた。
※この「東京帝国大学教授」の解説は、「長岡半太郎」の解説の一部です。
「東京帝国大学教授」を含む「長岡半太郎」の記事については、「長岡半太郎」の概要を参照ください。
- 東京帝国大学教授のページへのリンク