東京帝國大学の目録と木津町の椿井文書目録
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「椿井文書」の記事における「東京帝國大学の目録と木津町の椿井文書目録」の解説
昭和一〇年(一九三五)には、東京帝国大学史料編纂所(以下、東大と略記)が椿井文書を中心とした飯田三次家文書の調査にとりかかった……飯田家が所蔵する古文書は、昭和五七年に始まる木津町史編纂の過程で再調査される。このとき、椿井文書のうち南山城に関係するものを中心に抜き出して撮影がなされた(4)……飯田家の家蔵文書と椿井文書の目録がそれぞれ作成される(5)。このうち後者では、東大が作成した目録に含まれる椿井文書は省略され、新たに確認されたもののみが目録化された。 —馬部隆弘、 大阪大谷大学が精査したところ、令和元年度古物商等を経由して購入した古文書「本文書群」84点のうち[1~63]が椿井文書に該当し、残る[64~84]は椿井政隆が蒐集した文書と判断されるという。またこの目録には、先に述べた東京帝国大学史料編纂所や木津町教育委員会が作成した目録もあわせて収録されている。東京大学史料編纂所データベースでは西法寺文書(西法寺;京都市上京区)に合綴された飯田文書(影写本)や竜松院文書(東大寺図書館)に合綴された興福寺文書(影写本)等が見える。本物と判断したためか、東大は「興福寺文書」東大寺戒壇院登壇簡定言上状八点を影写しているという。大阪大谷大学が古物商から購入した「本文書群」は授戒に関する文書を意識的に抜き取った様子が窺えるという。
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