東京帝大文学部入学とは? わかりやすく解説

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東京帝大文学部入学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「東京帝大文学部入学」の解説

1924年大正13年1月上京区岡崎西福ノ川町(現・左京区岡崎)の大西二方下宿移し卒業試験備えた浅見篤訪ねると、原稿用紙部屋中に散らばり階下便所行かずに、ズックカバンの中に小便溜めてぶら下げていたという。この頃自分鬱屈した内面客観化して書こうとする傾向草稿習作の日」「瀬山の話」「汽車――その他」や「過古」などに発展する)をいくつも試みていた。 2月卒業試験終了後、基次郎重病装って人力車教授宅を廻り卒業懇願した3月、特別及第卒業結局5年がかりで三高卒業した次郎は、その足で夜汽車乗って上京し東京帝国大学文学部英文科入学の手続き済ませた当時倍率低ければ無試験入学可能であった)。同行した中谷孝雄外村茂も、それぞれ独文科経済学部経済学科希望した。 3人は麻布市兵衛町外村別宅泊り同人雑誌を出すことを語り合い銀座神楽坂繰り出した中谷孝雄先に帰郷した後も基次郎はそこに残り中谷三重県一中時代後輩新進歌人稲森宗太郎早稲田大学国文科)を訪ねたり、すでに東京帝国大学工学部電気科3年になる宇賀康や、東京帰省していた浅見篤遊び東大赤門前のカフェーで客と喧嘩し2階から転落したりした。 京都戻った次郎下宿引き払った後、三高劇研究会の後輩らと飲み武田麟太郎愛用のズックカバンと登山靴をあげた。大阪実家帰ると、東京での生活費は自分で稼ぐように通告された。 4月雑誌中央公論』に掲載され佐藤春夫の「『風流』論」を読み自我追究する近代小説よりも自然と一体化する瞬間の美を描くボードレール松尾芭蕉作品賞揚する佐藤春夫姿勢共鳴したこの頃トルストイの『アンナ・カレーニナ』や若山牧水の『山櫻の歌』も読んだ上京した次郎数日間本郷区追分町矢野潔の下宿泊った後、本郷区本郷3丁目18番地(現・文京区本郷2丁目3913号)の平館支店下宿決めた前年関東大震災東大赤レンガ壊れたままのところもあったが、下宿先の町は被害少な地域であった三高入学式上では、卒業試験後の人力車挿話伝え聞いていた校長が、卒業生の基次郎のことを、病気を親に隠し猛勉強した親孝行者として新入生紹介した先に帝大文学部進んでいた飯島正、大宅壮一浅野晃第七次『新思潮創刊計画していたことに刺激された基次郎中谷孝雄外村茂は、自分たちも同人誌作ろう具体計画練り5月に、三高出身小林馨仏文科)と忽那吉之助独文科)や、稲森宗太郎早大)を仲間加えて誌名仮称三高時代によく通った「カフェ・レーヴン」から「」とした。これはエドガー・アラン・ポーの詩に「大鴉」があったことも由来する。だが基次郎はこの「」という名称に不満を持っていた。 6人は5月初旬に、本郷4丁目の食料品店青木堂」の2階にある喫茶店第1回同人会を開き創刊秋にすることして具体的な日取り進めた6月大宅壮一らの第七次『新思潮』が創刊され、巷の文学青年たちの間で同人誌創刊する気運高まっていた。この頃、基次郎草稿夕凪」「貧しい生活より」を書いた推定されている。月末異母妹八重子危篤の報を受け、基次郎大阪実家駆けつけた。基次郎はこの幼い異母妹をとても可愛がっていた。

※この「東京帝大文学部入学」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「東京帝大文学部入学」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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