貧しい生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:33 UTC 版)
到着から5日経ち、彼が有り金をほとんど全て使い果たした頃、リースはピッツバーグ上流、アレゲニー川沿いのブレディーズ・ベンド・アイアン・ワークス(Brady's Bend Iron Works)で大工としての仕事を見つけた。それから数日後には手取りを増やすために採掘なども始めたが、すぐに大工の仕事へと戻った。1870年6月19日、フランスがドイツに宣戦布告して普仏戦争が始まったことを知ったリースは、デンマークがプロイセンのシュレースヴィヒ併合に報復するためにフランスに加わって参戦する(第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)だろうと予想して、自らもフランスのために戦うことを決意した。彼はニューヨークに戻り、ほとんどの私物を質に入れて所持金もないままに、フランス領事館で軍に入ろうとするが、アメリカから志願兵を送る計画はないと告げられてしまう。リボルバーまでをも質に入れ、歩いてニューヨークを出た末に疲れ果てて倒れてしまった。目が覚めると彼はフォーダム大学へと向かい、神父に食事を与えてもらった。 短期間の農場での仕事とマウントバーノンでの不定期の仕事ののちにリースはニューヨークに戻ると、そこで『ザ・サン』紙に載っていた、新聞社が戦争への従軍記者を募集しているという内容を目にした。リースは応募するために急いでそこへ向かったが、しかし編集者は文句を言い、知らん顔をしながらも腹を空かせたリースに朝食のための1ドルを与えた。しかし彼は憤然としてこれを断った。リースは貧しく、墓石の上で眠り、拾ったリンゴで生き延びていた時もあった。それでもニュージャージーのイースト・ブランズウィック(East Brunswick)にあるレンガ工場で仕事を見つけ、志願兵の一団が戦争に行くという話を聞きつけるまでの6週間はそこにいた。リースはこの話を聞くや否やニューヨークへと戻ったものの、着くと同時に噂は確かに本当であったが、もう遅かったことを知った。彼はフランス領事に申し立てたが追い払われてしまった。他にも様々な方法で従軍を試みたが、どれも成功しなかった。 リースはニューヨークに戻っても路上の寝場所を浮浪者と争い、デルモニコスの調理場の窓越しに肉片のついた骨とパンを物乞いする生活であった。誰一人として友人もいない巨大な都市で見窄らしい身なりのままいる自分に絶望し、10月のある夜、ノース川(North River)の堤防から身投げをしようとしたその時、リースを思いとどまらせたのは彼に付き纏っていた一匹の斑犬であった。その夜は気を取り直して、リースはひとまず警察の浮浪者収容施設で一晩を明かした。翌朝、彼が施設で目覚めるとエリザベスの巻毛が入った金の首飾りが盗まれていることに気づいた。警官と悶着を起こした結果、警察から追い出され、挙句警官に飛びかかった斑犬は階段に打ち据えられて死んでしまったのであった。 ただしこの話は後にリースのお気に入りの話になった。彼が後に告白したことには、不愉快な警官のキャリアを破滅させるために未だ彼の最終的な名声を使っていないということは彼の個人的な勝利なのであると言う。そしてまた、「あの夜の怒りが、浮浪者宿泊所の廃絶とスラムへの戦いの原動力になった」とも述べている。 以上のように、リースがアメリカに到着してからの数年間、新世界が彼に与えたのは無一文、飢え、宿無し、放浪のどん底生活も含めて孤独で貧困な暮らしでしかなかった。こうしたエピソードはのちに自伝として出版されることになるが、これらは作り話ではないのかと問われたこともあったという。
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