過古とは? わかりやすく解説

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過古

作者梶井基次郎

収載図書梶井基次郎全集1巻
出版社筑摩書房
刊行年月1986.8
シリーズ名ちくま文庫

収載図書昭和文学全集 7
出版社小学館
刊行年月1989.5

収載図書梶井基次郎小説全集
出版社沖積舎
刊行年月1991.7

収載図書ちくま日本文学全集 024 梶井基次郎
出版社筑摩書房
刊行年月1992.1

収載図書梶井基次郎小説全集 新装版
出版社沖積舎
刊行年月1995.9

収載図書梶井基次郎全集 第1巻
出版社筑摩書房
刊行年月1999.11

収載図書明治大正小品
出版社おうふう
刊行年月2006.4

収載図書梶井基次郎小説全集
出版社沖積舎
刊行年月2007.9

収載図書梶井基次郎
出版社筑摩書房
刊行年月2008.11
シリーズ名ちくま日本文学


過古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/28 23:41 UTC 版)

過古
各種表記
漢字 過古
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: わこ
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過古(わこ、生没年不詳)は、『日本書紀』に登場する斯麻宿禰の従者。卓淳国(大邱)の官吏

概要

百済の第13代王・近肖古王高句麗の南下に具えるため、これより先、使者を日本に遣わして和親を結んでいる[1]。近肖古王二十一年にあたるとみられる丙寅日本より斯麻宿禰が卓淳国に遣された時、その国の王末錦旱岐が告げて言うには「甲子の年七月、百済の人・久氐弥州流、莫古の三人が我が国に来て、『百済王は東方に貴国があるのを聞き、私共をその国に朝せしめようとなされました。私共は道をもとめてここへやって来たのです。若しよく道を教へて、通させて下さったなら、王は必ず貴方の国の王様を深くとくとすることでしょう』と申しました。そこで、我が国では、『私の国でも古くから東方に貴国があると聞いているのですが、未だ曾つて交通したことがありませんのでその道を知りません。ただ海路遠く波荒いため、大船に乗れば漸くして行くことが出来ましょう。若しそうしなかったら、行く港があってもわたることが出来ません』と答えました。久氐等は、『そういうわけでは今行くとことは出来ない。一度帰国して船を整へて終へて行くことにしよう』と言い、更にしきりと『若し日本の使が来られたならば、必ず知らせて貰いたい』と言って帰りました」と申した[1]。これを聞いて斯麻宿禰は従者・爾波移、過古の二人を百済に遣してその近肖古王を慰め、近肖古王は非常に喜び、厚く使者を遇し、五色綵絹各一疋、角弓箭、并に鉄鋌四十枚を爾波移に与え、更に宝蔵を開いて色々の珍異の物を示して、『吾国には斯様に多くの珍宝がある。これを貴国に貢しようとしても道を知らないので、志が遂げられなかった。今、使者をして貢献させようと思ひます」と言った[1]近肖古王は珍宝を奉り、斯麻宿禰と従者・爾波移、過古はそれをもって日本に帰還した[1]

脚注

  1. ^ a b c d 橋本増吉 編 『朝鮮』雄山閣〈物語東洋史 第11巻〉、1937年、30-32頁。 


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