初代教会
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初代教会(しょだいきょうかい)は、教会史における初代のキリスト教会を指すキリスト教の用語である。ここでは新約聖書、教父文書、信条、信仰告白においてあらわされ、キリストの教会、教派において共有される見解のみ記述する。他の学問的理解については原始キリスト教を参照。
ペンテコステ
十二使徒はイエス・キリストによって使徒として召されていたが、使徒行伝2章1-4節のペンテコステの日に一つの起点がおかれる。聖書にはイエス・キリストが弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」(使徒1:8、新共同訳聖書)と語ったと書かれてある。
使徒の働き
ペトロ(ペテロ)の働きは、使徒2-5章、9章32節-12章19節、ガラテヤ2章11-14節、第一ペテロ、第二ペテロに書かれてある。
パウロの働きは、使徒9章1-31節、13-28章、第一テサロニケ、第二テサロニケ、ガラテヤ、第一コリント、第二コリント、ローマ、ピレモン、コロサイ、エペソ、ピリピ、第一テモテ、第二テモテ、テトスに書かれている。
またヤコブ、ヘブル、ユダ、第一ヨハネ、第二ヨハネ、第三ヨハネ、ヨハネの黙示録に他の働きも書かれている。
迫害
ローマの異教徒たちに迫害された。
教父
教父は著述でキリスト教を防衛し、異教、異端と対決した。ローマのクレメンス、ポリュカルポスらがいる。
参考文献
関連文献
- エウセビオス『教会史』
- アウグスティヌス『神の国』
- ジャン・カルヴァン『キリスト教綱要』 改革派教会
- ケアンズ『基督教全史』 聖書図書刊行会
- 尾山令仁『聖書の概説』 羊群社
- 『新聖書辞典』いのちのことば社
外部リンク
- 東方正教会の歴史 1 初代教会 - 日本正教会公式サイトより。正教会の観点からの初代教会についての説明。
初代教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:59 UTC 版)
教会は始めから唯一の普遍的(公同的)集団であるという考えと、普遍的教会は後に成立したという考えがある。 「公同の教会」および「カトリック (概念)」も参照 前者の考えは「目に見える(可視、可見、見ゆる)普遍的教会」と言われる。初代教会から継承され、民族や地域を越えて全世界の教会が教理や礼拝を一致させて作り上げてきている「目に見える教会」である。1つ1つの教会が普遍教会なのである。この考えはニカイア・コンスタンティノポリス信条(信経)や使徒信条(使徒信経)に述べられている。 一般的に目に見える普遍教会の伝統では、三位一体、贖罪(キリストの犠牲によって得る罪の赦し)、からだの復活といった共通の信仰の下に洗礼を受けた者は誰でも教会に受け入れられる。この教えは、目に見えない神の恵みを目に見える証として行う秘跡(サクラメント)の儀式に導入されており、「神が人間に与えた啓示、真のキリスト教徒全てによって認められている真理、特に聖書の言葉や聖なる伝統の中に伝えられるもの」(Deposit of faith)として次世代に受け継がれていく。 一方、プロテスタントは人間の目に見える1つ1つの教会のバックボーンとなる「目に見えない(非可視、不可見、見えざる)普遍的教会」という考えを持つ。教派など目に見える違いがあろうとも、過去から未来までイエス・キリストを信じる者全てが民族や地域を超えて作り上げるイエス・キリストのからだ、つまり目に見えない普遍的教会に属するという考えで、これは中世ヨーロッパ末期に宗教改革が起こるまで明白にされなかった。 少数派ではあるが、聖書で「教会」と訳されているのはほとんどが地元の自治体や集会を指していると主張する教派もある。英語の"Church"は、「主の家」という意味の古代ギリシア語のκυριακον から派生した。コイネー・ギリシア語では教会をεκκλησία(ecclesia エクレシア)と言うが、キリスト教以前には古代ギリシア都市国家の立法府などある目的のために集った会という意味で用いられた。この流れをくむ教派は、原始キリスト教(初代教会)からコンスタンティヌス1世の台頭を通して見られた中央集権化を目指す教会内の動きが真のキリスト教からの逸脱であると考え、ニカイア・コンスタンティノポリス信条(二ケア信条)や使徒信条を否定している。
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