バテレン追放令とは? わかりやすく解説

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バテレン‐ついほうれい〔‐ツイハウレイ〕【天連追放令】

読み方:ばてれんついほうれい

天正15年(1587)豊臣秀吉九州平定後、博多発した禁令キリシタン邪法として禁止しバテレン20日以内国外追放することを命じた


バテレン追放令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/19 12:13 UTC 版)

バテレン追放令(バテレンついほうれい・伴天連追放令)は、1587年7月24日天正15年6月19日)に豊臣秀吉筑前箱崎(現・福岡県福岡市東区)において発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書。バテレンとは、ポルトガル語で「神父」の意味のpadreに由来し、英語fatherとともに、「父親」を意味する印欧祖語に由来する。





バテレン追放令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:49 UTC 版)

豊臣秀吉」の記事における「バテレン追放令」の解説

詳細は「バテレン追放令」および「ポルトガルの奴隷貿易を参照 キリスト教徒に対しては、当初は好意的であった。しかし宣教師による信仰強制キリスト教徒による寺社破壊宣教師たち牛馬肉食日本人奴隷商品として国外へ売却していたことなどを理由に、天正15年1587年)に伴天連追放令(バテレン追放令)を出した。ただしこの時布告強制的な禁教を伴うものではなく宣教師たち依然として日本国内布教活動継続することが可能であった。[要検証ノート] 日本初南蛮外科医である修道士ルイス・デ・アルメイダは、有馬晴純領内にあった十字架倒しキリスト教徒元の教え強制改宗するように命じた1564年十月十四日付、豊後発信書簡言及している。1563年十一月七日頃には横瀬浦港にある修道院焼かれ次いですぐにキリスト教徒農民たちの家が焼かれたという。こうしてキリスト教仏教信者間での対立関係悪化していたが、日本におけるイエズス会責任者であるヴァリニャーノ寺社仏閣破壊禁じていた。 1587年6月18日付(伴天連追放令前日)の11か条の「覚」は宣教師朝鮮半島日本人売っていたと糾弾しているが、朝鮮半島との貿易対馬氏の独占状態であり、グレゴリオ・デ・セスペデス宣教師として初め朝鮮半島訪れたのは1593年である。 ポルトガルの奴隷貿易に関して少数中国人日本人等のアジア人奴隷記録残されているが、具体的な記述は『デ・サンデ天正遣欧使節記』と『九州御動座記』に頼っている。いずれの記録歴史学資料としては問題指摘されている。『デ・サンデ天正遣欧使節記』は日本に帰国前の少年使節日本にいた従兄弟対話録として著述されており、両者対話不可能なことからフィクションとされている。『デ・サンデ天正遣欧使節記』は宣教師視点から日本人同国人を売る等の道徳の退廃、それを買うポルトガル商人批判するための対話構成されている。 豊臣秀吉功績喧伝する御伽衆所属した大村由己執筆した九州御動座記』は追放令発令天正15年6月後の天正15年7月書かれており、キリスト教激しく対立した仏教の元僧侶観点からバテレン追放令を正当化するために著述されており以下のような記述がある。 牛馬をかい取生なから皮をはぎ坊主弟子も手つから食し親子・兄弟無礼儀上䣍今世より畜生道有様目前二相聞候。 ポルトガル人が牛や馬を買い、生きたまま皮を剥い素手で食べるとの記述については、ヨーロッパ人化物だと決め付けることは東アジアでは一般的であり、実際に目撃したものを著述したとは考えられない宣教師に対する罵詈雑言や噂、作り話をもとにした虚構であるとの指摘なされている宣教師に対する誹謗中傷の中で顕著なものに、人肉食すというものがある。フェルナン・ゲレイロの書いたイエズス会年報集」には宣教師に対する執拗な嫌がらせ記録されている。 司祭たちの門口に、夜間死体投げこみ、彼らは人肉を食うのだと無知な人たちに思いこませ、彼らを憎悪し嫌悪させようとした さらに子どもを食べるために宣教師来航し妖術を使うために目玉抜き取っているとの噂が立てられていた。仏教説話集『沙石集』には生き肝とする説話があり仏教徒には馴染みのある説といえ、ルイス・デ・アルメイダ等による西洋医療に対する悪口雑言ともとれるが、仏僧である大村由己執筆した九州御動座記』にある宣教師牛馬生きたまま皮を剥い素手で食べるとの噂とも共通するものがあるポルトガルの奴隷貿易については、歴史家岡本良知1555年ポルトガル商人が日本か奴隷売買したことを直接示す最初の記述とし、これがイエズス会による抗議へと繋がり1571年セバスティアン1世 (ポルトガル王) による日本人奴隷貿易禁止勅許つながったとした。岡本イエズス会それまで奴隷貿易廃止するために成功しなかったが、あらゆる努力したためその責め免れるとしている。

※この「バテレン追放令」の解説は、「豊臣秀吉」の解説の一部です。
「バテレン追放令」を含む「豊臣秀吉」の記事については、「豊臣秀吉」の概要を参照ください。

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