注進状(天正十五年七月十三日)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:46 UTC 版)
「バテレン追放令」の記事における「注進状(天正十五年七月十三日)」の解説
『吉利支丹伴天連追放令』のおよそ一ヶ月後の天正十五年七月十三日、豊臣秀吉は注進状を皇大神宮(内宮)に奉納している。 伴天連御成敗之事、関白秀吉朱印六月十八日之御紙面、神慮大感応たるへき旨也、就其捧御礼連署、天照皇太神宮注進 抑 御朱印之趣伴天連御成敗等之事右御朱印致頂戴、誠以一天太平四海快楽大慶此時奉仰尊 天正十五年七月十三日 — 黒住真『天皇を中心とする日本の「神の国」形成と歴史的体験』 天照皇太神宮と関連付けて「伴天連御成敗」が宣言され「神慮大感応」と感謝されており、天台宗の元僧侶が主導してはいるが神仏共同による宗教弾圧であったとする見解もある。
※この「注進状(天正十五年七月十三日)」の解説は、「バテレン追放令」の解説の一部です。
「注進状(天正十五年七月十三日)」を含む「バテレン追放令」の記事については、「バテレン追放令」の概要を参照ください。
注進状と同じ種類の言葉
- 注進状のページへのリンク