日本への潜入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:25 UTC 版)
李善実には、大規模な工作活動を展開するための長期韓国潜入という重大な任務が下った。そのためには韓国内で合法的な身分を取得する必要があったが、彼女が目をつけたのは日本であった>。 。彼女は、以前に在日朝鮮人として日本に暮らしたことがある女性で、しかも今は北朝鮮に移り住んでいて、なおかつ年齢や出身地がなるべく自分に近い人物を探した。このような条件に合致したのが北朝鮮の地方都市に住んでいた申順女という女性であった。彼女は1960年に日本から北朝鮮に渡り、全羅北道には実姉がおり、神戸市には異母弟が住んでいた。彼女は申順女に近づき、幼いころの記憶や両親の死亡年月なども含めた肉親に関する情報を細かいところまで調べ、彼女が日本に住んでいた頃に両親と一緒に撮った写真も入手した。以後、彼女は申順女(シン・スンヨ)に成りすまし、工作活動を展開することとなる。 1974年1月、彼女は日本海側の海岸から日本に密入国し、神戸にいる「異母弟」に会いに行き、あたかも自分が申順女であるかのように振る舞って両親の写真をみせた。実際に申順女に会ったことのなかった「異母弟」はすっかり彼女が申順女であると騙されてしまった。彼女は、1974年3月、東京都荒川区役所で、同区に住む親戚を保証人として「申順女」の名で外国人登録を申請し、受理された。そして、彼女は東京入国管理局に出頭して、自分が韓国の馬山市からの密入国者だと「自首」し、特別在留許可を申請した。不法入国者は、本来ならば強制退去させられるのであるが、やむを得ない事情がある場合には特別在留許可が下りることがある。李善実は、1964年に密入国して李東春という韓国人男性と同棲してきたが、彼が神経痛で動けなくなったので自分が働きながら看病しているという「やむを得ない事情」を捏造した。なお、李東春は工作活動における土台人に相当する。 東京入管は彼女の供述を調査していくなかで本物の申順女は1960年に日本から北朝鮮に渡ったことに気づき、その点を本人に指摘したが、李善実は自分こそが本物の申順女で北朝鮮に渡ったのは偽物であると主張し、自分の両親がどこでいつ亡くなったかなどを詳細に語り、写真も見せた。東京入管が調べたところ、はたして彼女の供述通りであった。一方、本物の申順女は北朝鮮にいるので供述の取りようがなく、結局、彼女に特別在留許可を与えた。彼女は入管まで騙したことになる。
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