日本への渡来に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 01:38 UTC 版)
「高麗仏画」の記事における「日本への渡来に関する論争」の解説
日本伝世の作品の殆どが、中国元時代の作とされるか、または「君台観左右帳記」に中国・宋時代の画家と記されている張思恭の筆になるものとして伝えられてきた。 韓国では、日本にある高麗仏画の多くは倭寇が略奪したものだとしているが、日本では、李氏朝鮮が仏教を弾圧したため日本に流出したものだとしている。 また、日本の高麗仏画には由来に豊臣秀吉の朝鮮征伐の際の戦利品と書かれてあるものもあるが、この由来書について 上垣外憲一は疑ってかかる必要があり、当時は分捕り品とした説明した方がかっこいいこととされていたことも考慮する必要があると述べている。 李氏朝鮮政府は、仏教弾圧政策をする一方で、高麗仏画は日本に高価で取引されるため貿易品として輸出したり、また日朝親睦のため贈答したこともあった。 上垣外憲一は日本と朝鮮のあいだは戦争の歴史であったとみると歴史認識が歪むと指摘したうえで、そうした認識から、日本に朝鮮の文化財があると秀吉の軍隊が略奪した物に違いないと断定することになるが、秀吉の軍隊が略奪したものの多くは書籍であったし、略奪品として日本に来た物もあるが、平和的な交流のなかから贈り贈られてきた物や貿易で入ってきた物もかなりあるとして、すべてを略奪品とみなす見方を批判している。
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