日本への渡り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/06 09:10 UTC 版)
日本では、ナベヅルは「くろづる」という名前で鎌倉時代より知られており、江戸時代には全国各地に渡来し、『和漢三才図会』などの玄鶴(黒鶴)もナベヅルとされる。明治以降は鹿児島県、山口県などに限られ、現在では、越冬渡来地として鹿児島県出水市の出水平野 (荒崎地区)に集中している。ほかに山口県周南市(旧熊毛町)の八代(やしろ)盆地などが一般に知られている。それ以外の地域においても、ときに少数が越冬する。 鹿児島県出水平野の渡来数は、第二次世界大戦が始まる1939年(昭和14年)には3,435羽を記録したが、戦時中より減少し、戦後1947年(昭和22年)には250羽となった。しかしその後、1959年(昭和34年)に始まった人工給餌などの保護活動や、他の越冬地の消失により急激に渡来数が増加し、2000年(平成12年)には8,811羽を数えるようになった。 山口県八代の渡来数は、1940年(昭和15年)に350羽を記録して以来、徐々に減少し、2000年(平成12年)には18羽となった。 日本には通常10月中旬に渡来し始め、3月中旬に渡去するが、4月上旬まで留まることもある。
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