日本への移送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 19:01 UTC 版)
労務統制機関の職員の他に軍隊も協力したとされ、北支那方面軍少尉であった猪瀬建造の主張によると日本軍が捕らえた俘虜も集めて移送したとされる。また、猪瀬は「北支那方面軍が軍をあげて行っていたのではなく、それぞれの部隊の上官の判断で「討伐(治安を守るため、農民のふりをした敵の可能性のある者を捕まえ連行する)」という小規模な軍事行動から生まれた副産物であった」と証言している。これについて田辺敏雄は、中国では女性も子供も、いきなり日本兵に対して発砲してくることが多かったため農民が巻き添えになって連行されたことは想像できると述べている。
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