静子との再婚とは? わかりやすく解説

静子との再婚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 01:32 UTC 版)

内村鑑三」の記事における「静子との再婚」の解説

明治25年1892年)のクリスマス京都の旧岡崎藩士で判事岡田透の娘・静子結婚したこの頃帝国大学文科大学教授井上哲次郎によって「不敬事件」の論争再燃した明治26年1893年)になると、井上所論をめぐりキリスト教会もとより仏教界、思想界、学会教育界ジャーナリズム界で大論争巻き起こった内村井上の記す「不敬事件」に事実誤認指摘して反論したが、国家主義的な時流により、世論井上味方した。 この流浪窮乏時代とも呼べ時期に、内村は、『基督信徒の慰』、『求安録』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』( How I Became a Christian) を初め多く著作・論説発表した明治26年1893年4月熊本英学校教師として赴任し7月まで務めその後京都住んだ京都帰る途中で須磨開かれたキリスト教青年会第6回夏季学校講師として出席した横井時雄と共に講演し内村日本教会論を語った。この論は、翌年2月発行された『基督信徒の慰』にも記されている。 京都では、便利堂中村弥左衛門と弥二郎経済的に内村支えた明治27年1894年)の箱根でのキリスト教青年会第7回夏季学校では「後世への最大遺物」を行う。これが、便利堂によって明治30年1897年)に刊行されている。森敦はこの本を非常に愛読していたという。 不遇だった京都時代助けたのは徳富蘇峰だった。蘇峰おかげで、『国民之友』に文を発表し生活を支え文名上げることができた。『国民之友』の編集国木田独歩も、内村感銘受けた一人である。国木田は、明治29年1896年)に妻を亡くしたアメリカ行き思い立ち内村手紙相談している。

※この「静子との再婚」の解説は、「内村鑑三」の解説の一部です。
「静子との再婚」を含む「内村鑑三」の記事については、「内村鑑三」の概要を参照ください。

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