言語調査
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「ゲオルク・ヴェンカー」の記事における「言語調査」の解説
1876年、ヴェンカーは生まれ故郷であるデュッセルドルフ近辺の学校あてに質問状を手紙で送り、標準ドイツ語で書かれた42の文に対して、その土地の方言でどう言うかを調査した。調査結果をもとに翌年ヴェンカーはラインラントの言語地図を出版し、もっとも重要な等語線であるベンラート線およびユルディンゲン線(ドイツ語版)の存在を指摘した。その後ヴェンカーは質問状の内容を改良してドイツ語圏の他の地域にも送り、最終的には44,251の回答を得た。ヴェンカーは調査結果を2つの地図帳にまとめ、1881年に『ドイツ国言語地図 (Sprachatlas des Deutschen Reiches)』の題で出版した。 ヴェンカーの没後もマールブルク大学で調査が継続され、主にフェルディナント・ヴレーデ (de:Ferdinand Wrede) によって編集された『ドイツ言語地図』( (de:Deutscher Sprachatlas) 、略称DSA。1926年に第1巻)として出版されている。しかしながら量が膨大になるため、完全な形で出版されることはなかった。21世紀にはいり、すべてのデータをインターネット上に公開する努力がマールブルク大学のドイツ言語地図研究センターによって進められている。 質問状を送る調査方法は間接調査法といい、方言の発音が正確に得られない制約があった。後にスイスのジュール・ジリエロンは現地を訪れてフィールドワークを行う直接調査法を実行した。
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