くさ‐わけ【草分け】
草分け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 06:45 UTC 版)
草分け(くさわけ)とは、最初に土地を開拓して村落を作った者及びその家のこと。柴切り(しばきり)・草切り(くさきり)など多くの異名を持つ。転じてある分野や専門の先駆者や物事を世の中で最初に始めた人のことを草分け的存在と呼ぶことがある。
概要
元来の草分けについては古文書などで確かめられる事例と平家落人伝説・新田開発など各種伝承と結び付けられた事例がある。後者の場合には特定の個人(あるいは家)を草分けとする例と複数人(あるいは家)とする例がある。複数の場合には7人(7軒)によるものとする伝承が多い(草分け七人・七人百姓)。
近代以前においては草分けとされる家(史実か否かは別として)が、代々名主・庄屋などの村役人の地位を占め、そうでない場合でも村内に複数の分家を有する宗家として発言力を有した。祭祀の場や土地・用水などの共有財産の利用権に関しても優先的な地位を占めた(そもそも、草分けが信仰していた宗教または草分け自身が人神としてそのまま地域の祭祀となった例が多い)。これは地方の村落に限らず、江戸においても徳川家康に従って町々の基礎を築いた草分名主・草分町人(主に北条氏以前からの町役人や徳川氏とともに三河国などの旧領国から移住してきた者)は、江戸幕府から町年寄に任じられ、江戸城での大きな祝い事の際には登城してその一端に参加することが許されていた。
近代以後の社会の変動や草分け家系の断絶によって、草分けそのものが忘れ去られた地域も少なくない。だが、一方で名望家として重んじられ、現代においても地域社会に一定の影響力を有する者もいる。
参考文献
- 倉石忠彦「草分け」『世界歴史大事典 6』(教育出版センター 1991年) ISBN 978-4-7632-3976-1
- 福田アジオ「草分け」『日本歴史大事典 1』(小学館 2001年) ISBN 978-4-095-23001-6
関連項目
- 露払い - 先駆者の意味合いとして
草分け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:09 UTC 版)
江古田は鎌倉時代に開拓されたと伝わる。江古田村内の東本村(現・江古田一丁目)が最初の集落であったといわれ、そこに鎌倉時代から続くと伝えられる旧家が8軒あった。深野、堀野、佐久間、高崎、木村、白井、山崎、小川の各家である。江古田の名主であった深野家は鎌倉期にこの地へ入植したと伝承される。深野家の一族で相名主格でもあった堀野良之助は深野家について「鎌倉時代の落ち武者の末孫であったのだろう」と推測している。文永8年(1271年)鎌倉で龍ノ口法難を免れた日蓮が佐渡に流される途中で江古田の脇の鎌倉みちを通り、深野家に一泊して書をしたためたのが今に残るという。 口伝によると、かつて江古田の寺山(現・江古田の森公園一帯)に江古寺という寺院があった。江古田村はその領地であったという。明治のころ村民がその辺りの雑木林を開拓したとき、板碑2基をはじめとして、板碑や石造物の破片が大量に出土したことがあった。板碑の一つは応永年代(1394~1428年)のものだった。平成の江古田遺跡発掘調査では、中世の工法で造成・整地された平坦面に、総柱・庇付きの掘立柱建物跡や、空堀ともいえる溝、焼き場とみられる土坑などの遺構が検出された。遺物としては白磁四耳壷をはじめとする陶磁器などが発掘された。発掘調査報告書はこれを14~15世紀に存在していた中世寺院の遺跡ではないかと推測し、江古寺の伝承を参照している。
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