一書とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 文芸 > 文書 > 一書の意味・解説 

いっ‐しょ【一書】

読み方:いっしょ

一通の手紙または文書。「—を送る」

一冊または一部書物

ある書物異本別本一本(いっぽん)。「—によると」


一書

読み方:ヒトツガキ(hitotsugaki)

箇条書はじめに一の字をつけて書出すこと。また、その文章

別名 一つ書


一書(一)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:27 UTC 版)

山幸彦と海幸彦」の記事における「一書(一)」の解説

兄(え)火酢芹命(ほのすせり)はよく海幸を、弟(おと)の彦火火出見尊はよく山幸得た。ある時、兄弟お互いの幸(さち)を取り換えようと思った。そこで兄は弟の幸弓(さちゆみ)を持ち、山に入って(しし)を探したが、足跡さえ見つからなかった。弟も兄の幸鉤(さちち)を持ち、海に行って釣ったが、全く釣れず、しかもその釣針失ってしまった。この時、兄が弟の弓矢返して自分釣針求めると、弟は患(うれ)い、帯びていた横刀で釣針作り、一箕に山盛りにして兄に渡した。兄はこれを受け取らず、「猶(なお)我が幸鉤欲すと言った。そこで彦火火出見尊は、どこを探していいかもわからず、ただ憂え吟うことしか出来ずにいた。 そして海辺行き彷徨い嗟嘆(なげ)いていると、一人長老(おきな)が現れ、自ら塩土老翁名乗り、「君はこれ誰ぞ。何の故にかここに患(うれ)うるや」と尋ねたので、彦火火出見尊事情話した老翁が袋の中の玄(くろくし)を取り地面投げつけると、五百箇竹林(いほつたかはら)と化成った。そこで竹を取り大目麁籠(おおまあらこ)を作り火火出見尊(ほほでみ)を籠の中に入れ、海に投げ入れる。あるいは、無目堅間まなしかたま)(竹の籠を以ちて浮木(うけき)(浮かぶ木舟)を作り、細い縄で彦火火出見尊を結びつけて沈めたと言う、とある。 すると、海の底自ずから可怜小汀があり、浜の尋(まにま)進むと、すぐに海神豊玉彦(とよたまひこ)の宮に辿り着いた。その宮は城闕(かきや)崇(たか)く(かざ)り、たかどの)臺(うてな)壮(さかり)に麗(うるわ)かった。門の外の井戸のほとりの杜樹(かつらのき)の下に進んで立っていると、一人美人現れた。容貌(かたち)世に絶(すぐ)れ、従えていた侍者まかたち)たちの中から出て来て、玉壺(たまのつぼ)にを汲もうとして彦火火出見尊仰ぎ見た。そこで驚いて帰り、その父(かぞ)の神に、「門の前の井の邊のの下に一の貴き客(まろうと有り骨法(かたち)常に非ず若し天より降れらばまさに天垢(あまのかわ)有り、地より來たれらばまさに地垢(ちのかわ)有るべし。まことにこれ妙美(うるわ)し。虚空彦(そらつひこ)なる者か」と申し上げた。 あるいは、豊玉姫侍者玉壺を汲もうとしたが、満たすことができなかった。井戸の中を覗き込むと、逆さまに人の咲う顔(笑顔)が映っていた。そこで仰ぎ見ると、一人美しい神がいて杜樹寄り立っていた。そこで帰り戻ってその王(きみ)に申し上げたと言う。そこで豊玉彦が人を遣わして、「客、これ誰ぞ。何を以ちてかここに至る」と尋ねると、火火出見尊は、「我はこれ天神あまつかみ)の孫(みま)也」と答えて、そのやって来た理由語った。すると海神出迎えて拝(おろが)み、招き入れて慇懃ねんごろ)(丁重)に慰め奉る。そして娘の豊玉姫を妻とさせた。そして海の宮に住んで3載(みとせ)(3年)が経った、とある。 その後火火出見尊は數(しばしば)歎息があった。豊玉姫が、「天孫、豈(も)し故郷(もとのくに)に還らんと欲すや」と尋ねると、「然(しか)り」と答えた豊玉姫は父の神に、「ここに在りし貴き客は、上國(うはつくに)に還らんと意望欲(おもお)す」と申し上げた海神海の魚たちをすべて集め、その釣針求め尋ねると、一尾が「赤女(あかめ)久しく口の疾(やまい)有り或は云う赤鯛疑うらくはこれが呑めるか」と答えた。そこで赤女を呼んでその口を見ると、釣針がまだ口の中にあった。すぐにこれを取り彦火火出見尊渡して、「鉤を以ちて汝が兄にあたえん時は、則ち詛(とご)いて『貧窮(まぢ)の本(もと)、飢饉(うえ)の始め困苦くるしみ)の根(もと)』と言いて、しかる後に之をあたうべし。 又、汝が兄海を渉る時に、吾は必ず迅風(はやち)洪濤おおなみ)を起こして、其をして没溺(おぼ)れ辛苦(たしな)ません」と教えた。そして火火出見尊を大鰐乗せて本郷もとつくに)に送り届けた。 これより前、別れる時に豊玉姫は、「妾、すでにに有身(はら)めり。まさに風・濤(なみ)はやき日を以ちて出で海邊に到らん。請(こ)う、我がために産屋造り待ちたまえ」と従要に語ったその後豊玉姫はその言葉通りにやって来て火火出見尊に、「妾、今夜(こよい)産(こう)まんとす。請う、臨(みる)こと勿(なか)れ」と申し上げた火火出見尊は従わずに火を灯して覗いた。すると豊玉姫八尋(やひろ)の大き(わに)に姿を変え匍匐(はらば)い逶(もごよ)っていた。そこで豊玉姫辱しめを受けた恨み、ただちに海郷(わたつみのくに)に帰るが、その妹の玉依姫留め御子を持養(ひだ)させた。子の名を彦波瀲武盧茲草葺不合尊と呼ぶ理由は、その浜辺産屋屋根を、すべての羽を草葺(かやふき)にできないうちに子が生まれたので、そう名付けた、とある。

※この「一書(一)」の解説は、「山幸彦と海幸彦」の解説の一部です。
「一書(一)」を含む「山幸彦と海幸彦」の記事については、「山幸彦と海幸彦」の概要を参照ください。


一書(二)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:27 UTC 版)

山幸彦と海幸彦」の記事における「一書(二)」の解説

彦火火出見尊が門の前の井戸のほとりの百枝(ももえ)の杜樹(かつらのき)に跳び昇りて立る。すると海神の女(むすめ)手に玉鋺(たまのまり)を持ちやって来てを汲まんとする。人の影が井戸中にあるのを見て仰ぎ見るや、驚いてお椀落としたお椀砕け散ったが、顧(かえりみ)ずして帰り戻り、父(かぞ)母(いろは)に、「妾、一の人、井の邊(ほとり)のの上在る見たり。顔色(かお)甚(はなは)だ美(うるわ)し。容貌また閑(みやび)たり。殆(ほとほと)に常の人に非(あら)ず」と語った。すると父の神はこれを聞いて奇(あやし)く思い八重の席(たたみ)を設けて迎え入れ坐して定まりてからやって来た理由尋ねた彦火火出見尊事情全て話すと、時に海神わたつみ)便ち憐みの心を起こしてことごとく廣(はたのひろもの狹(はたのさもの)を召して尋ねた。「知らず。ただ、赤女のみ口の疾(やまい)有りて来たらず」 または「口女口の有りと」と皆言った。そこで急(すみやか)に召しその口を探すと、失った釣針がすぐに見つかった。そこで海神は「おれ(こら)口女は今より往(ゆくさき)、餌を呑むことを得じ。又、天孫の饌(みあえ)に預(あず)かるを得じ」と禁じた、とある。 彦火火出見尊帰る時になり、海神は、「今は天神の孫、辱(かたじけなく)も吾が處に臨(のぞ)みて、心の中(うち)の欣慶(よろこび)、何(いつ)の日にか忘れん」と申し上げた。そして思うがままの思則潮溢之瓊(おもえばしおみちのたま)・思則潮涸之瓊(おもえばしおひのたま)をそのに副(そ)えて奉進(たてまつ)りて「皇孫八重の隈(くま)を隔(へだ)つといえどもねがわくは時に復た相い憶(おも)いて棄て置くこと勿(なか)れ」と言って、そして、「この鉤を以ちて汝が兄にあたう時に則ち貧鉤(まぢち)・滅鉤(ほろびのち)・落薄鉤(おとろえのち)ととなえ、言い訖(おわ)りて後手しりえで)に投げ棄てあたえ、以ちて向(むか)いて授くること勿(なか)れ。若し兄、忿怒(いかり)を起こして賊害(そこな)わん心有らば、則ち潮溢瓊(しおみちのたま)を出だし以ちて之を漂溺(おぼお)せ、若し危苦(なや)まんに至りて愍(あわれみ)を求(こ)わば、則ち潮涸瓊を出だして以ちて之を救え。如此(かく)逼(せ)め惱ませば、自ずからまさに臣伏(したが)わん」と教えた、とある。 そこで彦火火出見尊その玉と釣針受け取り本宮(もとつみや帰って来て、一(もはら)海神教えた通りにまずその釣針を兄に渡したが、兄は怒って受け取らなかった。そこで弟が潮溢瓊を出だせば潮が大い満ち兄は自ずと没み溺れて、「我まさに汝に事(つか)えて奴僕(やっこ)とならん。願わくは救い活かすこと垂れたまえ」と懇願した。弟が潮涸瓊を出すと潮は自然と引き、兄は元の状態に戻ったそうしたところ、兄は前言改め、「我はこれ汝が兄なり。如何(いかに)ぞ人の兄として弟に事えんや」と言った。弟はそこで溢瓊を出した。兄はこれを見て高い山逃げ登ったが、潮は山もまた沈めた。兄は高い登るが、潮はもまた沈めた。兄は途(みち)に窮(きわま)り逃げ去る無く、罪に伏して、「我、過(あやま)りつ。今より以往ゆくさき)、吾が子・孫八十連屬(やそつづき)、つねにまさに汝が俳人(わざひと)とならん。あるいは、『狗人いぬひと)』と。請う哀みたまえ」と言った。弟が涸瓊を出すと潮は自然と引いた。そこで兄は弟に神々しい徳があることを知り、ついにその弟に伏い事えた。こういう訳で、火酢芹命(ほのすせり)の苗裔(すえ)(末裔)の諸(もろもろ)の隼人等、今に至るまで天皇すめらみこと)の宮墻(みやかき)(宮の垣根)の傍(もと)を離れず、代(よよ)に吠ゆ(いぬ)(番犬)して事え奉っているのである、とある。

※この「一書(二)」の解説は、「山幸彦と海幸彦」の解説の一部です。
「一書(二)」を含む「山幸彦と海幸彦」の記事については、「山幸彦と海幸彦」の概要を参照ください。


一書(三)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:27 UTC 版)

山幸彦と海幸彦」の記事における「一書(三)」の解説

兄の火酢芹命よく海幸得たので海幸彦呼ばれ、弟の彦火火出見尊よく山幸得たので山幸彦呼ばれた。兄は風雨のたびにその道具失ったが、弟は風雨であってもその道具をなくさなかった。ある時、兄が弟に、「我、試(こころみ)に汝と幸換えんと欲う」ともち掛け弟も承知して交換した。そこで兄は弟の弓矢持ち、山で狩り、弟は兄の釣針持ち、海でを釣るも、共に獲物得られず、空手(むなで)で帰る。兄は弟の弓矢返し己が釣針求むるも、その時、弟はすでに釣針海中失いて、探し出すことできず。そこで、別(こと)に新し釣針を千(ちぢ)作って渡したが、兄は怒り受け取らず、元の釣針を急責した。〜中略浜辺で低(うなだ)れ愁え吟っていた弟は、川雁(かわかり)が罠にかかって困厄(たしな)むのをみて憐れみ解き放ち去ると、しばらくして塩土老翁現れ無目堅間小舟作り火火出見尊を乗せて海の中へと推し出した。すると自然(おのずから)に沈み、たちまち良い可怜御路(うましみち)に出くわした。そこで流れのままに進むと、海神の宮に辿り着く。すると、海神が自ら延(ひ)き入れて多く海驢アシカ)の皮を八重敷きその上に坐(いま)さしめる。兼ねて饌(みあえ)百(もも)設け(さらに多く品々載せた用意し主人(あるじ)としての礼を尽くす。 そして、「天神の孫、何を以ちてか辱く臨(いでまし)つる」あるいは、「頃(このごろ我が子来て語り曰く、『天孫(あめみま)海濱うみへた)に憂え居すといえども未だ虚(いつわり)まことを審(し)らず』と。(けだ)し之れ有るか」と従容おもむろ)に尋ねた彦火火出見尊事情全て話した。そして住留まり海神の子豊玉姫を妻とし、睦まじく篤愛(にたしみ)、そして三年経った、という。 彦火火出見尊帰ることとなり、海神女を召してその口を探れば、釣針を得る。そこでその釣針彦火火出見尊に進(たてまつ)る。「これを以ちて汝が兄にあたえん時に乃ち言出して、『大鉤(おおち)、踉鉤(すすのみぢ)、貧鉤(まぢち)、癡鉤(うるけぢ)』と曰うべし。 言い訖りて、則ち後手投げ賜うべし」と教えそれを返却する。そして鰐魚(わに)を召し集(つど)えて、「天神の孫、今まさに還り去らんとす。等(いましたち)幾日の内に、以ちて致し奉らん」と尋ねると、様々な鰐魚が、それぞれの体長に応じてその日数を申し出た。その中に一尋鰐魚(ひとひろわに)がいて、自ら、「兄、高田を作らば、汝は窪田(くぼた)を作るべし。 兄、窪田を作らば、汝は高田作るべし」と教えた海神、誠を盡(つく)して助け奉ること此の如し。 そこで彦火火出見尊帰って来たり、一(もはら)に海神教えに遵(したが)いて、依りて行と、後に火酢芹命は日を以ちてやつれて「我すでに貧(まづ)し」と憂えて言う。果てには弟に伏(したが)った。弟が潮満瓊を出すと、兄は手を上げて溺れ困しみ、反対に潮涸瓊を出すと元に戻る、という。 これより前、豊玉姫天孫に、「妾、すでに有娠めり。天孫御子を、豈(あに)海中に産むべけんや。故、まさに産む時に、必ず君がもとにゆかん。如し我が為に海邊に屋を造り、以ちて相い待たば、これ望む所なり」と申し上げた。そこで彦火火出見尊は郷に帰ると、の羽以ちて屋根葺き産屋作るが、屋根未だ葺き合えぬうちに、豊玉姫大亀乗り、女弟の玉依姫連れ、海を照らしながらやって来た。すでに臨月(はらみのつき)を迎え、産む期(とき)方(まさ)に急りいた。そこで葺き合うるを待たずにただちに入り天孫に、「妾、方に産むときに、請う、臨(み)ること勿(なか)れ」と従容語った天孫内心その言葉怪しみて、ひそかにと覗うと、八尋大きに姿を変えていた。しかも、天孫が私の屏(かき)を視る知り深く恥じ恨み抱いた。すでに子が生まれた後、天孫訪れて、「御子の名を何(いか)になづけば可(よ)けん」と尋ねると、「彦波瀲武盧茲草葺不合尊となづくべし」と言い訖りて、海を渉りただちに去ってしまう。そこで彦火火出見は歌を詠んだ。 飫企都鄧利 軻茂豆勾志磨爾 和我謂禰志 伊茂播和素邏珥 譽能據鄧馭登母(沖つ鳥著く嶋に 我が率寝し妹は忘らじ 世の尽も)※意味【寄り着く島で、我が床を共にした妻は、決し忘れぬだろう、我世ある限り。】 または、彦火火出見尊婦人(おみな)を募り乳母(ちおも)・湯母(ゆおも)・飯嚼(いいかみ)及び湯坐(ゆえひと)とし、すべて諸部(もろとものお)備行(そなわ)りて養(ひだ)し奉るその時代わりに他の婦人の乳によって皇子養した。 この後豊玉姫その子端正(うるわ)きことを聞いて大い憐れみの心を重ね、また帰って養したいと欲うが、義(ことわり)に於(お)きて可(よ)からず。そこで女弟の玉依姫遣わして養しに行かせた。その時豊玉姫玉依姫託して報歌(かえしうた)を奉った。 阿軻娜磨廼 比訶利播阿利登 比鄧播伊珮耐 企弭我譽贈比志 多輔妬勾阿利計利 (赤玉の 光はありと 人は言へど 君が装し 貴くありけり)※意味【紅き玉は輝ける人々申しますが、貴方の姿はそれにも増して 壮麗思います。】とある。

※この「一書(三)」の解説は、「山幸彦と海幸彦」の解説の一部です。
「一書(三)」を含む「山幸彦と海幸彦」の記事については、「山幸彦と海幸彦」の概要を参照ください。


一書(四)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:27 UTC 版)

山幸彦と海幸彦」の記事における「一書(四)」の解説

ここで彦火火出見尊火折尊(ほのおり)と呼ばれ塩筒老翁出会うまでは一書(三)類似した記述がある。続いて老翁「また憂(うれ)うることなかれ。我、まさにこれを計らん」。計り曰く、「海神乗れる駿(すぐれ)たる馬は、八尋なり。これその背(はた)を竪(た)てて小戸たちばなのおど)に在り。あれまさに彼のと共に策(はか)らん」と言った。そして火折尊と共に見に行った。 この時に鰐魚(わに)策(はか)りて「我は八日(やか)の以後(のち)に、まさに天孫海宮に致すべし。唯(ただ)し我が王(きみ)の駿)れたる馬は一尋鰐魚なり。これまさに一日(ひとひ)の内に、必ず致し奉らん。故、今、我帰りて王をして出で来さしむ。宜し彼に乗りて海に入るべし。海に入る時に、海の中に自ずから可怜小汀有り其の汀の隨(まにま)に進まば、必ず我が王の宮に至る。宮の門の井の上に、まさに湯津杜樹有るべし。宜しくそのの上に就(ゆ)きて居(いま)すべし」。言ってすぐ海に入り去った。 そこで天孫言う通り待ち留まり待って八日になったしばらくして一尋鰐魚がやって来たので、乗って海に入る。そのどれも以前教え従いおこなった。 すると豊玉姫侍者いて、玉鋺を持ち、まさに井のを汲まんとする時に人の影の水底在る見て、酌(く)み取る事が出来ず、そこで天孫仰ぎ見た。即ちに戻り、王に「あれは我が王(きみ)を独り能く絶(すぐ)れて麗しおもうに、今、一客(ひとりのまろうど有り。かれまた遠く勝(まさ)れり」と報告した海神それを聞いて「試(に之を察(み)ん」と言う。そりて三床(みつのゆか)を設(ま)けて請い入れた。 ここに天孫は、ほとりの床にそのふたつの足を拭い、中の床にそのふたつの手押え内の床には眞床覆衾(まどこおふすま)の上に寛(あぐ)み坐した(ゆったりと座った)。海神これを見て天神の孫と知り得た。 益(ますます)崇敬(あがめうやまう)ことを加う、とある。 〜中略海神は赤女(赤鯛)・口女・なよし)を召して尋ねると、口女が口より釣針出だし奉る時に海神釣針彦火火出見尊【何故がここだけ彦火火出見尊となる】に授け「兄に鉤を還す時に天孫則ちまさに『汝が生子うみのこ八十連屬(やそつづき)の裔(すえ)に、貧鉤(まぢち)・狹狹貧鉤(ささまぢち)』と言い言い訖りて三たび唾下(は)きて之をあたうべし。又、兄が海に入り釣りする時に天孫宜し海濱うみへた)に在りて、以ちて風招(かざおき)作(な)すべし。風招、即ち嘯(うそぶき)なり。如此(かく)なせば則ち吾は瀛風(おきつかぜ)・邊風(へつかぜ)を起こして、奔(はや)き波を以ちて溺(おぼ)し惱まさん」と教えた火折尊帰り来たりて具(つぶさ)に海神教え遵う。 兄が釣りをする日になり、弟は浜辺嘯く。迅風がたちまち起こり、兄は即座に溺れ苦しみ、助かる見込みもなかった。そこで遠くにいる弟に「汝、久しく海原に居(いま)しき。必ず善き術(すべ)有らん。願わくは救いたまえ。若(も)し我活(い)くれば、我が生子うみのこ八十連(やそつづき)に、汝の垣(かき)の邊(へ)を離れず、まさに俳優の民とならん」と請い出た。それを聞いた弟は嘯(うそぶ)くこと停めたさすれば風もまたすぐに息(や)む。兄は弟が神徳得たのを知り自ずと伏(したが)わんと欲った。ところが弟はおもほてり有り(怒の表情のまま)て、あい言わず(口をきかない)。そこで兄は、著犢鼻たふさぎ)して、赤土(そほに)を以ちて掌(たなうら)に塗り、面(おも)に塗りて、弟に「我、身を汚すことかく如し永く汝が俳優者(わざおさひと)とならん」告げた。そして足をあげ踏み行き、その溺れ苦しむ状(かたち)を示した初め潮が足に浸した時に足占あしうら)をなし、膝に至る時に足をあげ、股に至る時に走り廻(めぐ)り、腰に至る時に則ち腰を捫(もち)い、腋(わき)に至る時に則ち手を胸に置き、頸(くび)に至る時に則ち手をあげ飄掌(たひろかす)(ひらひらさせた)。 これより先に豊玉姫出で来てまさに産(こうむ)時に皇孫(に請い曰く、〜中略皇孫従わず豊玉姫大きに恨み「妾が言を用いず、我に屈辱(はぢみ)せつ。故、今より以往ゆくさき)、妾が奴婢(つかいひと)君がもとに至れば、また放ち還すことなかれ。君が奴婢(つかいひと)妾がもとに至らば、また、還すことなし」いって、真床覆衾とその子包んで渚に置くと、海に入り去った。 あるいは御子を波瀲(なぎさ)に置ではなく豊玉姫命自から抱き去っていったと、久しくして「天孫御子をこの海中に置くは宜(よろ)しからずと言って玉依姫に抱かせて送り出した、とある。 初め豊玉姫別れ去る時に恨みの言(こと)口にした。その為火折尊はそう会えないと知り、歌を贈ること有り。それは上(かみ)に見ゆ、とあり一書(三)異伝見え内容である。

※この「一書(四)」の解説は、「山幸彦と海幸彦」の解説の一部です。
「一書(四)」を含む「山幸彦と海幸彦」の記事については、「山幸彦と海幸彦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「一書」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「一書」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



一書と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一書」の関連用語

一書のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一書のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの山幸彦と海幸彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS