山幸彦と海幸彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 17:02 UTC 版)
山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)は『記紀』において、天孫族と隼人族との闘争を神話化したもの[1][2]。主に「海幸山幸(うみさちやまさち)」と呼ばれる。古代日本において、南九州にいたとされる熊襲の平定服従を元に説く日向神話(ひむかしんわ)に登場する[3][4][5]。海幸彦が隼人の阿多君の始祖であり、祖神ホデリ(火照)の末裔が、阿多[6]・大隅[7](現在の鹿児島県本土部分)に居住した隼人とされる[8][9]。なお、この神話は日本書紀を編纂した天武天皇が設定したとする説[10]がある。また仙郷滞留説話・神婚説話・浦島太郎の話の元になっているとされる[1][2]。こうした「山幸彦と海幸彦」の話は、日本各地に「海彦と山彦」として伝えられている。[11]
- ^ a b c d デジタル大辞泉 小学館(海幸山幸)2013年9月11日閲覧
- ^ a b 三省堂大辞林 第三版『海幸山幸』コトバンク 。
- ^ 原口耕一郎「「日向神話」の隼人像」『人間文化研究』第23巻、名古屋市立大学大学院、2015年、2-18頁、ISSN 1348-0308、CRID 1050001337544483968。
- ^ 次田真幸『古事記(上)全訳注』205頁 講談社
- ^ 武田祐吉 『古事記 40版』 69頁 角川書店
- ^ 精選版 日本国語大辞典『阿多隼人』コトバンク 。
- ^ 精選版 日本国語大辞典『大隅隼人』コトバンク 。
- ^ 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『隼人(古代の南部九州の居住民)』コトバンク 。
- ^ a b 原口耕一郎『隼人と日本書紀』 名古屋市立大学〈博士(人間文化) 乙第1891号〉、2018年。NAID 500001430756} 。, 隼人と日本書紀<要約>
- ^ 寺川眞知夫「日向神話の設定」『万葉古代学研究所年報』(万葉文化振興財団万葉古代学研究所、2004年)
- ^ 海彦と山彦(まんが日本昔ばなし〜データベース)
- ^ 世界大百科事典(綿津見の宮)2013年9月11日閲覧
- ^ 古事記では、瓊瓊杵尊の天孫降臨の際、魚たちはアメノウズメにより、瓊瓊杵尊への忠誠を誓わされているので、山幸彦は魚たちが忠誠を誓った天孫の子という無碍に扱えない人物である。
- ^ 海彦と山彦(まんが日本昔ばなし〜データベース)
- ^ 浦島太郎(古代史の扉)
- 1 山幸彦と海幸彦とは
- 2 山幸彦と海幸彦の概要
- 3 浦島太郎伝説への影響
山幸彦と海幸彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:37 UTC 版)
邇邇芸命の子は山幸彦と海幸彦である。山幸彦は海幸彦の釣り針をなくしたため、海幸彦に責められる日々を送り、釣り針を500本作っても1000本作っても許してもらえないが海神の宮殿に赴き釣り針を返してもらい、海幸彦に釣り針を返し復讐して従えた。山幸彦は海神の娘と結婚し鵜葺草葺不合命という子をなした。そして、鵜葺草葺不合命の子が神倭伊波礼毘古命、のちの神武天皇である。
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山幸彦と海幸彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 08:08 UTC 版)
山幸彦と海幸彦の段では、火照命または火須勢理命(海幸彦)の釣針をなくして困っていた火遠理命(山幸彦)が、塩土老翁の助言に従って綿津見大神(豊玉彦)のもとを訪れ、綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚している。二神の間の子である鵜葺草葺不合命は豊玉毘売の妹である玉依毘売に育てられ、後に結婚して若御毛沼命(神倭伊波礼琵古命・かむやまといわれひこ)らを産んでいる。綿津見大神の出自は書かれていないが、一般にはオオワタツミと同一神と考えられている。
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