山平和彦版大島節
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1972年の山平和彦のアルバムデビュー作『放送禁止歌』に大島節が収録されたが、歌詞が猥雑だとして同年に表題作ともども要注意歌謡曲指定制度において放送禁止となるAランク指定を受けた。制度が効力を失う1988年まで指定を受け続けたが、森達也は『時には娼婦のように』や『後ろから前から』などの方が扇情的だがそれらの多くは指定から外れて時代とともに緩和されてきた制度だが同曲が相変わらずだったことに疑問を呈し、2000年前後にはそれを聞いても答えられる人は制度の主体である日本民間放送連盟にはもういないと返答されているが、それぞれの楽曲を審議する人間が思考停止に陥っていたのではないかと考え、何かのはずみで残り続け担当者の引き継ぎが行われても考察をせずそのまま申し送りすることが繰り返された可能性を指摘している。
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