満珠島・干珠島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/21 09:26 UTC 版)
満珠島 | |
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(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成) | |
所在地 | 日本(山口県下関市) |
所在海域 | 瀬戸内海(周防灘) |
座標 | 北緯33度59分44秒 東経131度1分35秒 / 北緯33.99556度 東経131.02639度 |
最高標高 | 49.6 m |
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干珠島 | |
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(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成) | |
座標 | 北緯33度59分40.7秒 東経131度0分29.5秒 / 北緯33.994639度 東経131.008194度 |
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満珠島・干珠島(まんじゅしま・かんじゅしま)は、山口県下関市長府沖、瀬戸内海(周防灘)中の2つの無人島であり、原生林が満珠樹林・干珠樹林として国指定の天然記念物となっている。
概略
忌宮神社の飛び地境内であり、祭神の神功皇后が住吉大神の化身である龍神から授けられた二つの玉、潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)から生まれたという伝説がある島。また、彦火火出見尊が海神より授かった潮満瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を両島に納めたという伝説もある。
二島は至近距離にあり、伝説ではどちらが満珠島か干珠島かはっきりしていないが、忌宮神社では沖の大きい方を満珠島、岸に近い小さい方を干珠島と呼んでいる。土地台帳と天然記念物指定文書では沖側の島が干珠、国土地理院の地図や海図、国立公園指定では岸に近い側の島が干珠となっており、公式にも定かではない[1]。
源平合戦最後の決戦である壇ノ浦の戦いで、源義経率いる源氏軍が拠点とした。
ギャラリー
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満珠島・干珠島(和布刈から北東の眺望)
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満珠島(沖の大きい島)。満珠島灯台は昭和9年初点。
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干珠島(岸に近い小さい島)
脚注
- ^ 吉岡一生『山口伝説散歩 防長写伝』2001年6月、17頁。 NCID BA78408512。
関連項目
外部リンク
満珠島・干珠島
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長府の東側となる瀬戸内海に浮かぶ二つの島。近い方が面積1.2ha、遠い方が面積4.5haとなっている。「日本書紀」には澳[奥]津・平津島と記載されており、神功皇后が如意宝珠を得たという伝説がある。この伝説によると神功皇后の三韓征伐のときに海から声が聞こえ、安曇(あずみ)の磯良(いそら)を龍神のもとへ遣って干珠・満珠の2つの株を借りよと告げられたという。そして戦いに勝利して2つの珠を海に沈めて返したときに2つの島になったと伝えられている。
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