平氏優勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:28 UTC 版)
関門海峡は潮の流れの変化が激しく、水軍の運用に長けた平氏軍はこれを熟知しており、早い潮の流れに乗ってさんざんに矢を射かけて、海戦に慣れない坂東武者の義経軍を押した。義経軍は満珠島・干珠島のあたりにまで追いやられてしまい、勢いに乗った平氏軍は義経を討ち取ろうと攻めかかる。 ここで不利を悟った義経が敵船の水手、梶取(漕ぎ手)を射るよう命じたともされ、ドラマや小説等では、この時代の海戦では非戦闘員の水手・梶取を射ることは戦の作法に反する行為だったが、義経はあえてその掟破りを行って戦況が変化したとする描写がよく見られる。しかし、『平家物語』では義経が水手・梶取を射るよう命じる場面はなく、もはや大勢が決した「先帝身投」の段階で源氏の兵が平氏の船に乗り移り、水手や船頭を射殺し、斬り殺したと描かれている。 また、『平家物語』では阿波重能の水軍300艘が寝返って平氏軍の唐船の計略を義経に告げ、知盛の作戦は失敗し平氏の敗北は決定的になったとする。『吾妻鏡』によれば、阿波重能は合戦後の捕虜に含まれており、実情は不明である。
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