平氏の隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:22 UTC 版)
平安時代末期、朝家・貴族内部の権力闘争が、保元の乱・平治の乱といった軍事衝突に発展するようになった。こうした内乱で大きな働きをした平清盛は、対立を深める後白河上皇と二条天皇の間をうまく渡り歩き、さらに摂政近衛基実と姻戚関係を結ぶなど、政界に於ける地位を上昇させていく。清盛の地位向上に伴い、平氏一門の官位も上昇、知行国を次第に増やしていった。 二条天皇が崩御すると六条天皇が即位するが、後に高倉天皇が即位する。この間、清盛は後白河上皇と政治的に接近して更に栄達を遂げ、仁安2年(1167年)には太政大臣に就任。朝廷内における発言権を増すこととなる。
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