平氏の侍大将とは? わかりやすく解説

平氏の侍大将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:16 UTC 版)

藤原忠清」の記事における「平氏の侍大将」の解説

保元の乱平清盛の軍の先陣務め源為朝と戦う。この時、為朝強弓前に苦戦強いられ、弟の忠直伊藤六)が戦死する平治の乱直後には清盛の命で、二条天皇側近大炊御門経宗葉室惟方逮捕している(『愚管抄』)。 左兵衛尉経て嘉応2年1170年)に右衛門少尉となる。忠清は平氏一門中でも特に平重盛に近仕しており、重盛嫡男維盛の乳父(めのと)でもあった。その後何らかの理由上総国配流された忠清は、現地の有力在庁官人上総広常歓待を受ける。広常の態度は「志ヲ尽シ思ヲ運テ賞玩シ愛養スル事甚シ」かったという(『源平盛衰記』)。 忠清は閑院内裏警備軍指揮する立場にあり、安元3年1177年4月延暦寺大衆強訴では防備当たった。この時に威嚇射撃の矢が神輿命中し大衆側に死傷者出た。この結果、院と延暦寺抗争激化し天台座主明雲配流奪還後白河法皇による延暦寺攻撃命令鹿ケ谷の陰謀へと展開していくことになる。 治承三年の政変1179年)で忠清は、解官された藤原為保に代わり上総介となり、従五位下叙せられた。その際に、「坂東八ヵ国の侍の別当」(『平家物語』)として東国武士団統率する権限与えられたらしい後年和田義盛源頼朝恩賞としてその職を望み鎌倉政権侍所別当補任された。上総国国衙掌握した忠清は、上総広常に対して恩を忘れた強圧的な態度転じ陳弁のため上洛した広常の子・能常を拘禁する。忠清の圧迫怒った広常は、やがて平氏反旗を翻すことになる。

※この「平氏の侍大将」の解説は、「藤原忠清」の解説の一部です。
「平氏の侍大将」を含む「藤原忠清」の記事については、「藤原忠清」の概要を参照ください。


平氏の侍大将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:43 UTC 版)

平盛俊」の記事における「平氏の侍大将」の解説

剛力持ち主として有名で、平清盛政所別当務めるなど実務にも長じていた(『平安遺文3891)。清盛からの信頼厚く厳島内侍を妻として賜ったという逸話もある(『源平盛衰記』)。安元元年1175年)には越中守在任していた(『山槐記8月16日条)。鹿ケ谷の陰謀では清盛の命で、首謀者藤原成親捕縛している(『愚管抄』)。 治承4年1180年10月富士川の戦い追討軍が敗走すると、全国各地反乱激化する12月になると平氏反撃開始し近江国精鋭部隊送り込んだ近江攻防)。盛俊も侍大将として平清房付き従い園城寺攻撃する戦闘金堂に火が燃え移ったが、盛俊は迅速な措置消し止めた(『玉葉』『山槐記12月9~12日条)。 畿内反乱ひとまず鎮圧されたが、治承5年1181年正月高倉上皇、閏2月清盛相次いで死去する平氏政権清盛三男平宗盛畿内惣官となって戦時体制構築するが、その一環として盛俊は、丹波国荘園下司補任された(『玉葉2月7日条)。小松家清盛長男平重盛家系)の家人である伊藤忠清平貞能遠征軍司令官として前線飛ばされたのに対して、盛俊は宗盛一門主流に近い立場にあり平氏軍制中核となった寿永2年1183年4月17日清盛嫡孫重盛嫡男平維盛総大将とする10万騎とも言われる大軍北陸道下向する(『百錬抄』)。養和の北陸出兵はるかに上回る規模動員であり、盛俊も従軍した平氏軍緒戦勝利するが(火打城の戦い)、5月9日明け方般若野はんにゃの、現・富山県高岡市南部から砺波市東部)の地で兵を休めていた平氏軍先遣隊・盛俊の軍が、源義仲木曾義仲)軍の先遣隊である今井兼平軍に奇襲されて戦況不利に陥り、平氏軍は一旦加賀国退却する般若野の戦い)。 ここで平氏は軍を二手分け平維盛通盛率い本隊加賀国越中国国境にある砺波山へ、盛俊が率い別働隊能登国越中の国境にある志保山へ進軍した。しかし5月11日砺波山向かった平氏軍本隊義仲軍との戦闘で「過半死し了んぬ」という大敗喫する倶利伽羅峠の戦い)。志保山で源行家対峙していた盛俊も、本隊壊滅退却余儀なくされる6月1日平氏残存兵力結集して再び決戦挑むが、義仲軍の勢い食い止めることはできず総崩れとなった篠原の戦い)。敗戦理由として『玉葉6月5日条は、大将軍維盛)と三人侍大将(盛俊・景家・忠経)が盛を相争ったためと記している。盛俊・景家は宗盛家人忠経維盛小松家家人であり、一門主流小松家確執指揮系統混乱招いた可能性もある。

※この「平氏の侍大将」の解説は、「平盛俊」の解説の一部です。
「平氏の侍大将」を含む「平盛俊」の記事については、「平盛俊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「平氏の侍大将」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「平氏の侍大将」の関連用語

平氏の侍大将のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



平氏の侍大将のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの藤原忠清 (改訂履歴)、平盛俊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS