般若野の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/11/05 02:45 UTC 版)
般若野の戦い(はんにゃののたたかい)は、旧・越中国礪波郡般若野(現・富山県の高岡市~砺波市)での戦いのこと。
- 般若野の戦い (平安時代) - 1183年、木曾義仲と平家の戦い。戦場は現在の高岡市中田地区とされる。
- 般若野の戦い (戦国時代) - 1506年、長尾能景と一向一揆の戦い。戦場は現在の砺波市般若地区とされる。
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般若野の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:04 UTC 版)
詳細は「般若野の戦い (戦国時代)」を参照 永正3年(1506年)9月、長尾能景が畠山尚順の要請を受けて越中に出兵するが、般若野の戦いで越中一向一揆・神保慶宗連合軍と戦って敗死した。このため、長尾能景の子・長尾為景は神保慶宗と永正17年(1520年)12月まで長期にわたる抗争を繰り返すようになる。
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