他の神社
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乃木神社 長府宮の内町にあり、大正9年(1920年)1月30日に乃木希典の旧邸に建てられた神社。祭神は乃木希典とその妻乃木静子。神紋は市松四つ目の目結紋。乃木神社内の宝物館には乃木希典・静子夫妻の遺品などが展示されている。 乃木神社の宝物館前には乃木記念会が復元した旧邸がある。六畳と三畳の部屋および二坪の土間からなる質素な家である。また、この家の復元には長門尊攘堂の設置に尽力したことで知られる桂弥一が家の構造を担当した。桂弥一は乃木希典の生前、乃木本人の手紙から旧邸の間取りを知っていた。旧邸内に作られた希典と父母の木像は希典の甥、長谷川栄作によるもので、希典が教訓を受けている様子が再現されている。 乃木記念会は大正2年(1913年)に誕生した団体で、当初の目的である旧邸の復元の後に解散したが、その後、同時期に誕生した乃木神社創建委員会が大正6年(1917年)に神社を建てる許可を得た。大正8年(1919年)には着工し、翌年には1月30日に竣工し、2月9日に近代社格制度における県社になった。最初は乃木希典のみを祀っていたが、昭和37年(1962年)には静子を合祀した。 乃木神社境内の建造物 乃木神社の鳥居は道路に1つと入口に1つある。鳥居を通り抜けると左(方角では南)に武道館、右(北)に社務所、奥(西)に拝殿が見える。授与所は拝殿右に社務所に連なるように位置している。拝殿の奥には幣殿、本殿と続き、神饌所は拝殿の左奥(南西)にある。宝物館は拝殿を左(南)に曲がった場所にある。 行事 春祭(4月11日) 例祭(9月13日) 豊功(とよこと)神社 宮崎町にある神社。近代社格制度においては県社で明治16年(1883年)に指定された。祭神は応神天皇、武内宿禰、大国主、穂井田元清、長府藩主。神紋は一文字に三つ星。豊功神社にある他の神社としては串崎稲荷神社と秋葉社がある。 天保5年(1834年)に毛利秀元に明神の号が許され、慶応2年(1866年)に忌宮神社境内に豊功社として建てられたのが始まりである。明治10年(1877年)には現在と同じ豊功神社に改名した。この時期、豊功神社の現在地にあったのは松崎八幡宮という神社で古くは櫛崎八幡宮、宮崎八幡宮ともいった。それを大正6年(1917年)に合祀して豊功神社が忌宮神社境内から宮崎町に移された。昭和44年(1969年)6月30日に全焼してしまい、仮の社殿が建てられたが昭和52年(1977年)には社務所が全焼。昭和57年(1982年)に社務所は復旧したものの昭和60年台風第13号で仮の社殿は壊滅的な状態に陥った。翌年に再度社殿は建てられたが土砂崩れで被害を受け、平成13年(2001年)11月10日に現在の社殿が建てられた。 行事 歳旦祭と日の出太鼓(1月1日) 報国隊祭(2月14日に近い日曜日) 例祭と献茶式(4月第1または第2日曜日) 観月祭(中秋の名月前後) 秋季大祭(11月7日) 四王司神社 大字松小田の標高が392mある四王司山の山中にある神社。仲哀天皇が豊浦宮滞在中に四王司山に大地主神(おおとこぬしのかみ)と保食神(うけもちのかみ)を仲哀天皇2年(193年)に守護神として祀ったのが起源。毘沙門天が配祀神として祀られており、毘沙門天像は敵の降伏と国の安泰を願って貞観9年(867年)に清和天皇により安置されたものであるといわれている。神紋は白鳥。 もとは四王司毘沙門祠と呼ばれていて、神社として呼ばれたのは明治初期のことである。社殿は昭和60年(1985年)に一度全焼してしまったが2年後には復旧した。 四王司神社の建造物 四王司神社には鳥居がいくつかある。最後の鳥居を抜けると拝殿が見え、拝殿の奥には幣殿、本殿へと繋がっている。幣殿の左側(方角としては南南西)には参集所がある。その手前からさらに左に行くと四王司城を拠点としていた厚東武村の墓がある(画像)。 行事 例祭(一月の初寅) 月寅祭(毎月の初寅) 二番寅祭(1月2回目の寅の日) 桜祭(4月第1か第2日曜日) 初寅毎年正月に行われる行事で、1月1日のように日付で決まるわけではなく、十二支が初めて寅の日になるときに行われる。ご利益として3年参詣し続ければ武運長久、開運勝利、福徳円満があるといわれている。 四王司の毘沙門天像が王司の方へ移されていたときに、その地の「久兵衛」という男が夢で毘沙門天に「願いを叶える代わりに初寅のときだけでも四王司に移してくれ」と言われ、久兵衛が四王司に戻したために行われるようになったといわれている。久兵衛の願いは家族と仲直りしたいというものであり、その願いは叶えられたと伝えられている。 また、初寅の日には笹の葉が福飾りとして売られる。これは小月に住んでいた「八重」という女の叔父が初寅の日に笹の葉1枚を四王司山からご利益があると思って持って帰った翌日、笹の葉が消えて小判が5枚現れたという話にちなむものである。 才川神社 大字才川にある神社。鳥居の前後に各1対、つまり計4体の狛犬が設置されており、鳥居の奥には拝殿、本殿と続く。どの時期に建てられたかなどは不明だが、元の名前は河内神社で、寛永のときと宝暦10年(1760年)に再建されたといわれている。一度は明治42年(1909年)に忌宮神社に合祀となったが、昭和2年(1927年)には才川神社として現在地に移った。祭神は弥都波能売命(みつはのめのみこと)、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)、大綿津見神(おおわたつみのかみ)。例祭は11月23日で豊凶を占う粥占いという行事も同時に行われる。 貴船神社 前田にある神社。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)、保食神。いつ建立されたかなどは不明。例祭は10月17日である。 惣社宮 - 画像 万延元年(1860年)に建立された。昭和47年(1972年)3月ごろには解体されたが、その後昭和56年(1981年)5月26日には再建された。 守宮司(しゅぐうじ)神社 - 画像 惣社町にある神社。別名は尺氏社。忌宮神社のお斎祭のときには板をバチで打ち、笛を演奏する板神楽という行事が12月8日の深夜2時ごろに行われる。 恵比寿社(廃) 満珠島・干珠島の遠い方の島にかつてあった社。文久3年(1863年)には中浜町に移転。明治41年(1908年)には八坂神社(忌宮神社隣)に合祀となって廃社となった。
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