歴史学者として(1913–1941年)
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「サミュエル・モリソン」の記事における「歴史学者として(1913–1941年)」の解説
モリソンは、ハーバードでの博士論文をもとに、1913年、最初の公刊著作となるハリソン・グレイ・オーティスについての伝記“The Life and Letters of Harrison Gray Otis, Federalist, 1765–1848”を出版した。1915年には、ハーバード大学に専任講師の職を得て戻った。第一次世界大戦の間、モリソンはアメリカ陸軍の一兵士として従軍した。また、1919年6月17日まで、講和会議におけるバルチック委員会のアメリカ代表を務めた。 1922年から1925年の間、モリソンは、オックスフォード大学でアメリカ史のハームスワース記念教授(仮訳:Harmsworth Professor of American History)の地位に、アメリカ人としては史上初めて就任した。1925年にはハーバード大学へ再び戻り、教授となった。この時期のモリソンの主な研究対象の一つはニューイングランドの歴史で、1921年には“The Maritime History of Massachusetts, 1783-1860”を著していた。1930年代には、“Builders of the Bay Colony: A Gallery of Our Intellectual Ancestors”(1930年)、“The Founding of Harvard College”(1935年)、“Harvard College in the Seventeenth Century”(1936年)、“Three Centuries of Harvard: 1636–1936”(1936年)および“The Puritan Pronaos”(1936年)など、ハーバード大学及びニューイングランドについての一連の著作を発表している。なお、彼は後年にも再びニューイングランド史に取り組んでおり、“The Ropemakers of Plymouth”(1950年)や“The Story of the 'Old Colony' of New Plymouth”(1956年)を執筆、1952年には編集者として“Of Plymouth Plantation, 1620–1647”の復刻にも携わった。 1940年、モリソンは、後のコロンブスに関する成功作の先駆け的な歴史書“Portuguese Voyages to America in the Fifteenth Century”を刊行した。1941年には、ハーバード大学でアメリカ史のジョナサン・トランブル記念教授(仮訳:Jonathan Trumbull Professor of American History)に選ばれた。モリソンは、帆船による航海に新しく関心を向けるようになった。そして、彼の学識に、コロンブスが訪れたと思われる場所へ実際に航海した体験を加え、成果として発表した“Admiral of the Ocean Sea”(1942年)は、1943年のピューリッツァー賞に輝いた。
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