歴史学者による推計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:22 UTC 版)
1986年にイギリスの歴史学者ロバート・コンクエストは、1932~33年のウクライナにおける飢饉の死者数は500万人と推計した。これはウクライナ人口の18.8%、農村人口の約四分の一にあたる。コンクエスの推計の詳細は、以下のとおりである。1930年から37年にかけての農民の総死者数は1100万人で、1930年から37年にかけて逮捕され強制収容所での死者数は350万人で、合計1450万人であった。このうち、富農撲滅運動による死者数は650万人、農業集団化によるカザフ人の死者数は100万人で、1932-33年の飢餓による死者数は合計で700万人だったとする。このうち、ウクライナ飢饉の死者数は500万人で、北カフカース飢饉での死者数は100万人、その他の地域の飢饉での死者数は100万人であるとする。強制収容所で死んだ350万人の多くは、ウクライナとクゥバーニ川地方の農村出身者だった。ただし、これは飢饉によるのでなく、強制移住による犠牲である。またコンクエストは、子供の餓死者は300万で、富農撲滅運動の犠牲になった子供は100万とみる。 表1.1930-37年の犠牲者数農民の死亡者1100万人 強制収容所での死亡者350万人 合計1450万人 表2.表1の内訳富農撲滅運動による死者数650万人 農業集団化によるカザフ人の死者数100万人 1932-33年の飢餓の死亡者数ウクライナ:500万人, 北カフカース:100万人, その他の地域:100万人 合計1450万人 コンクエストはウクライナの農村人口は当時2000万-2500万で、そのうち500万が犠牲になったとし、当時の記録史料から以下のような詳細な数値を提示している。ウクライナのキエフ州、ヴィーンニツァ州では墓を掘る力を持つ者もおらず、グルスク村では人口44%が死亡し、ジョルノクロヴィ村では430人が餓死した。ロマンコヴォ村では1933年の五ヶ月の間で、人口4000-5000人のうち588人が死亡した。ヴィーンニツァ州のマトキフツィ村は312世帯と1293人の人口だったが、5人が自分の畑でとうもろこしを収穫したために銃殺され、24家族がシベリアに送られ、1933年には残りの多数が死に、村は空になった。オルリフカ、スモランカ、グラビフカ村では人口3000-4000人だったが、45-80人しか生存者がいなかった。ポルタヴァ州のマチュヒ村には2000世帯がいたが、半分が死亡し、同地区の部落は全滅した。映画のロケで使われることも多かったヤレスキ村は人口1500人が700人となった。ジトーミル州の人口1532人の村では813人が飢饉で死亡した。 中井和夫らは、少なくとも、当時のウクライナの人口の一割以上、400万人から600万人が飢饉によって犠牲となったとする。 黒宮広昭はソ連で700-800万人、ウクライナで少なくとも400万人が死亡したとする。 D.マープルズの2007年の著書では500万人とされる。 マイケル・エルマンはウクライナで320万人が死亡したとする。 ウクライナの歴史学者スタニスラフ・クルチツキーは、ウクライナで300万人から350万人が餓死あるいは病死し、大飢饉による出生率低下を含む人口喪失では450万人から480万人が消失したとする。 ソ連史研究者の栗生沢猛夫は1932-34年の飢饉で、ウクライナ、北カフカース、ヴォルガ流域、カザフスタンなどで400万から600万人の犠牲者が出たとする。 アメリカイェール大学の歴史学者ティモシー・スナイダーは2010年の著書でウクライナでの餓死者や栄養失調による死者数の総数は330万人が妥当とする。これらのうち300万人がウクライナ人で、残りの30万人がロシア人、ポーランド人、ドイツ人、ユダヤ人と推計した。また、スナイダーは、カザフスタンの飢饉では130万人が死亡し、そのうちウクライナ人は10万人だったとする。 歴史学者ノーマン・ネイマークは、1932-33年飢饉で、ソ連全土で600-800万が犠牲となり、このうち300万-500万がウクライナとウクライナ人が多く住んだ北クバンで犠牲になったとする。1930年代のスターリン政策で数万のクラークが処刑され、200万人がグラグに送られ、現地で数十万人が死亡したとする。1932-33年だけで25万の農民が流刑地で死亡した。また、ネイマークはウクライナ飢饉の分析が難しいのは、他の地域でも飢饉があったからだという。カザフスタンの死者数は145万人で、カザフスタンの全人口の38%にあたり、逃亡したカザフ人の多くは射殺された。なお、ジェノサイド研究者のクルト・ヨナスゾーンは、カザフスタンの飢饉をジェノサイドとみなしている。 ウクライナの歴史学者スタニスラフ・クルチツキー、および人口統計学者O.ヴォロヴィナ、ハーバード大学歴史学教授のS.プロヒーらの研究グループの2017年の研究によれば、ホロドモールによる地域別の犠牲者(超過死亡)は、ヴィーンヌィツャ州:54万5000人、キエフ州| 111万1000人、チェルニーヒウ州| 25万4000、ハルキウ州103万8000、ドニプロペトロウシク州36万8000、オデッサ州 32万7000、ドネツィク州 23万1000、モルダヴィアASSR6万8000人で、合計394万2000人であった。 ホロドモールによる犠牲(超過死亡)(2017年の研究)州 (オーブラスチ)総数(人)人口1,000人あたり北部地域 ヴィーンヌィツャ州 54万5000 126 キエフ州 111万1000 200 チェルニーヒウ州 25万4000 91 ハルキウ州 103万8000 191 南部地域 ドニプロペトロウシク州 36万8000 102 オデッサ州 32万7000 108 ドネツィク州 23万1000 54 モルダヴィアASSR 6万8000 120 合計 394万2000人
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