歴史学者石田勇治のコメント報道
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「マルコポーロ事件」の記事における「歴史学者石田勇治のコメント報道」の解説
事件当時、『サンデー毎日』1995年2月19日号は、小野博宣による電話取材で、東京大学助教授(当時)石田勇治(ドイツ現代史)の次のようなコメントを掲載した。 『中吊り広告を見てすぐ買ったが、驚いた。不正確な記述としかいいようがない』というのは、ドイツ史が専門の石田勇治東大助教授。『タネ本はすぐ分かる。ロンドンで出版された『ロイヒター・レポート』という本で、これはネオナチのバイブル。『マルコ』では欧米で論争になっているように書いているが、歴史研究の立場からすると、論争などまるでない。ヒトラーの虐殺指令書がないとか、ドイツ国内に『絶滅収容所』がないというのは本当です。しかし、筆者(西岡)の発想とはまるで逆に、『命令文書がなかったから虐殺はなかった』ではなく、『命令文書がないのにあれだけの虐殺があったのはなぜか』という研究が数多くされている。また、サイクロンBに関する研究もたくさんあり、十分殺傷能力があるとされている。ドイツでは保守派の学者でも『ガス室はなかった』とは言っていない。史実に反することですから。』 この石田のコメントに対し木村愛二は、石田自身が「タネ本」とされるロイヒター報告を読んでもいないし、入手してさえもないと語ったして、自著の中で批判している。 『サンデー毎日』(2・19)も『マルコ』記事の評価を簡単な電話取材でごまかした。「『中吊り広告を見てすぐ買ったが、驚いた。不正確な記述としかいいようがない』というのは、ドイツ史が専門の石田勇治東大助教授。『タネ本はすぐに分かる。ロンドンで出版された「ロイヒター報告」という本で、これはネオナチのバイブル(後略)』」 本人に直接たしかめたところ、『ロイヒター報告』そのものを読んでいるどころか、実物を見てもいない。ドイツ語の見直し論批判本の名を二つ挙げただけだった。こんなズサンな肩書きだけの談話記事で、西岡が「ネオナチのバイブル」を引き写して作文したかのような印象が作りだされているのだ。石田はさらに、「歴史研究の立場からすると、論争はまるでない」としているが、論理矛盾もはなはだしい。本人が「二冊持っているドイツ語の本」そのものが、論争の存在の立派な証明である。論争とは、権力御用、学会公認の公開論争だけを指すのではない。 石田はその後、木村の批判には直接答えることはせずに『ジャーナリズムと歴史認識』(凱風社、1999年)や『過去の克服 ヒトラー後のドイツ』(白水社、2002年)といった著書で、戦勝国によるニュルンベルク国際軍事裁判だけでなく、戦後のドイツ司法当局が現在も続けている「ナチ裁判」、とくにアウシュヴィッツ収容所の重大犯罪(謀殺罪)を裁いたフランクフルトでのアウシュヴィッツ裁判を紹介し、ホロコーストが動かぬ事実であるとした。 また石田は、上記『ジャーナリズムと歴史認識』に「アウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の史料から」を寄稿して、木村や西岡が問題視するアウシュヴィッツ基幹収容所跡地のガス室の歴史を説明したうえで、ガス室の存在を示す当時の史料を詳しい説明とともに掲載した。
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