ドイツ国内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:46 UTC 版)
対立組織を排除させることに成功した国軍は、ナチ党への完全な協力を約束し、ヒトラーの主導権が確立した。国軍は再軍備の上で国防軍に再編され、戦争への下準備の一つがなされることになった。市民の間でも暴力沙汰や同性愛などで突撃隊への評判は悪く、粛清はむしろ好意をもって迎えられた。 しかし、将官であったシュライヒャーやブレドウの死は国軍に少なからぬ衝撃を与えた。ヒンデンブルクも調査を要望したが、側近グループに説得され、祝電に署名するほかなかった。陸軍長老であるアウグスト・フォン・マッケンゼン元帥も直接ヒトラーに抗議したが入れられず、7月20日には28人の将校と連名で、ブロンベルク国防相、ゲッベルス宣伝相、ノイラート外相、ロベルト・ライらを免職し、軍事執政を要請する書簡をヒンデンブルクに送った。「閣下は過去に三度までもドイツを崩壊から救いました。(中略)閣下、今一度ドイツを救ってください!」と、切実な内容であったが、彼は何の対応も取らなかった。これについてジョン・トーランドは、側近が手紙を見せなかったものと推測している。面子を潰されたと感じた軍人達は、ナチ党に協力的なブロンベルクを「ゴムのライオン」と蔑称するようになった。 突撃隊上級指導者であったヴィクトール・ルッツェがレームの後任としてSA最高幕僚長に就任し、突撃隊とヒトラーを前にして、完全な忠誠を誓う演説を行っている。またこの頃まで形式的に突撃隊の傘下にあった親衛隊は、名実共に独立した組織となり、以後党の重要な組織として拡大を続ける。突撃隊は勢力を失ったが解散することはなく、国防軍入隊者への教練や大管区の布告の補助等を敗戦まで行った。しかし、戦時中も親衛隊と突撃隊は幾度となく対立を起こし、両者には消える事の無い因縁が残った。
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