政治学者、歴史学者として
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「五百籏頭眞」の記事における「政治学者、歴史学者として」の解説
広島大学政治経済学部助手・講師・助教授を経て、1981年(昭和56年)より神戸大学法学部教授、2000年(平成12年)から2006年(平成18年)7月まで同法学研究科・国際協力研究科教授を務めたのち退職し、神戸大学名誉教授の称号を受ける。その後、2006年8月に防衛大学校長に就任(2012年3月まで)。2012年(平成24年)4月より熊本県立大学理事長、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。2018年(平成30年)4月より兵庫県立大学理事長。 この間、ハーバード大学(1977年(昭和52年)-1979年(昭和54年)、2002年(平成14年)-2003年(平成15年))、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(1990年(平成2年) - 1991年(平成3年))で客員研究員、日本政治学会理事長(1998年(平成10年) - 2000年(平成12年))を歴任。政府関係の委員として、小渕恵三首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長、小泉純一郎首相時代に設置された私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、福田康夫首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長、2007年(平成19年)12月に設立された政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2009年(平成21年)10月に解体)委員を務めた。 現在は日中両政府に報告・提言を行う日中両国の有識者による会議「新日中友好21世紀委員会」委員(2003年(平成15年)12月 - )、一般社団法人アジア調査会会長を務めている。 1985年(昭和60年)、『米国の日本占領政策』でサントリー学芸賞受賞。他に吉田茂賞(2回)、吉野作造賞を受賞。2011年(平成23年)には文化功労者に選ばれる。 1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で、ゼミ生の一人を亡くす。亡くなったゼミ生は、ゴスペルシンガーの森祐理の実弟であり、告別式にはゼミ生が所属していた日本メノナイト・ブレザレン教団泉北キリスト教会で式辞を読んでいる。地元西宮市に本拠を置いた阪急ブレーブスのファンであった。 2019年(平成31年)2月、日本経済新聞において「私の履歴書」が連載された。 2020年(令和2年)6月18日付で、宮内庁参与。
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