政治学:個人の権利と資本主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:07 UTC 版)
「オブジェクティビズム」の記事における「政治学:個人の権利と資本主義」の解説
ランドによる「個人の自由」の擁護は、以下のように、彼女の思想全体に基礎づけられている。理性は、人間が知識を得る手段なのだから、すべての人にとって最も根本的な生存手段なのであり、価値を獲得するために欠かせないものである。強制力の行使(または強制力を背景にした脅迫)は、その主体が国家であれ犯罪者であれ、個人にとっての理性の現実的効能を無効化する。ランドの表現を用いれば、「人間の頭脳は、銃口を突きつけられた状態では機能しない」。したがって、人間の行動を組織化するさまざまな形態の中で、理性の働きと矛盾しない唯一の形態は、自発的協同である。説得は、理性の手段である。明白に不合理である者は、他人を説得によって動かすことができない。他人を動かそうとすれば、最終的に強制力に頼るしかない。だからランドは、「理性」と「自由」を相関物と見なし、同様に「神秘主義」と「強制力」を相関物と見なした。以上の理解から、オブジェクティビズムにおいては、他人の意思に反する物理的強制力を自分の側から行使することは、不道徳であると考える。脅迫や詐欺や契約不履行も、間接的に「自分の側からの強制力の行使」であると見なし、同様に不道徳と考える。他方、防衛または報復として強制力を行使することは、適切であると見なす。 オブジェクティビズムでは、「自分自身の判断が命じるところに従って行動する権利」、および「自分の努力の産物を所有し続ける権利」は、各個人の奪うことのできない道徳権利であると見なされる。なぜなら道徳的価値を達成するためには、強制力の行使におびやかされることなく理性を使用する機会が必要だからである。ピーコフは、権利の基礎について説明する中で、次のように述べている。「建国の父たちが認識していたように、内容的に見て、根本的な権利は1つであり、この根本的な権利から、いくつかの主要な権利が派生している。根本的な権利とは、生に対する権利(the right to life)である。この根本的な権利から派生する主要な権利とは、自由(liberty)に対する権利、財産(property)に対する権利、および幸福追求(pursuit of happiness)の権利である」。「権利とは、人間の行動の自由を、社会的文脈において定義し是認する道徳原則である」。オブジェクティビズムではこれらの権利を、「特定の結果または目的に対する権利」ではなく、「行動に対する権利」として理解する。権利によって生じる義務は、本質的に消極的(negative)なものと見なす。すなわち、「各個人には他人の権利を侵害する行為を控える義務があるだけで、他人の“権利”を実現する行為を積極的(positive)に行う義務はない」と考える。オブジェクティビズムでは、「積極的権利」Smith 1997, pp. 165–182; Touchstone 2006, p. 108「集団の権利」「動物の権利」といった代替的(alternative)な権利概念を否認する。個人の権利を全面的に認める唯一の社会体制は、資本主義であると考える。ここで言う資本主義とは、ランドが「完全な、純粋な、制御も規制もされない、自由放任の資本主義」と表現した体制である。資本主義は貧困層にとって最も有益な社会体制と見なされるが、このことは、資本主義を正当化する主要な理由とは見なされない。資本主義が正当化されるのは、それが唯一の道徳的な社会システムだからである。オブジェクティビズムでは、自由(または自由な国家)を確立しようとしている社会のみが、自決権を有すると見なされる。 オブジェクティビズムでは、政府は「物理的強制力の報復的な使用を、客観的統制の下に--すなわち客観的に定義された法律の下に--置く手段」であるがゆえに正当であり、個人の権利を保護する上で決定的な重要性を持つと見なされる。ランドは無政府主義に反対した。警察と裁判所を市場に委ねれば、冤罪が必然化すると考えたからである。オブジェクティビズムでは、「犯罪者から人々を守る警察」、「外国による侵略から人々を守る軍備」、「客観的に定義された法律に従って紛争を調停する司法」、「行政」、および「立法」が、政府に固有の機能であると考える。さらに、政府は「個人の権利を保護するために、国民の代理人として行動する」のであり、「国民から委任された権利以外のいかなる権利も持たない」のであり、「具体的かつ客観的に定義された法律に従って公平に行動しなければならない」と考える。オブジェクティビズムの著名な支持者であるピーコフとヤロン・ブルック(Yaron Brook)は、後に他の政府機能への支持も表明している。 ランドは、「知的所有権を特定の発明者およびアーチストに先願主義で限定的に独占させることは、道徳的である」と主張した。すべての財産権は本質的に知的であり、かつ商品の価値の一部はその発明者の不可欠な仕事に由来すると見なしたからである。ただしランドは、特許および著作権を制限することも重要であり、特許および著作権を永久に認めれば、事実上の集産主義に必然的につながると考えた。 国家主義への移行過程においては、あらゆる人権侵害が、その人権を行使している中で最も魅力のない人々を皮切りに実施されてきた。 アイン・ランド ランドはレイシズムに反対し、レイシズムのあらゆる法的適用に反対した。ランドはアファーマティブ・アクションを法律上のレイシズムの一種と見なした。ランドは合法的に妊娠中絶を行う権利を擁護した。ランドは、殺人者への報復として死刑は道徳的に正当化されると信じたが、無実の人々が誤って処刑される危険性と、国家による殺人につながる危険性を重く見た。このためランドは、「道徳的な理由からではなく、認識論的な理由から」死刑に反対した。ランドは徴兵制に反対する一方、徴兵を回避する人々を有罪と見なした。ランドは、ポルノグラフィの法的制限、表現の自由の法的制限、信教の自由の法的制限を含め、あらゆる形態の検閲に反対した。 他にも反トラスト法、最低賃金、公教育、既存の児童労働法など、リベラル派からも保守派からも広く支持されている政府活動の多くが、オブジェクティビズムにおいては反対の対象となる。オブジェクティビズムを支持する人々は、「信仰に基づくボランティア活動(faith-based initiatives)」に対する公的支援、宗教的シンボルの政府施設への掲示、インテリジェント・デザイン説の公教育カリキュラムへの採用にも反対してきた。ランドは税を「窃盗」「理性に対する強制力の優越の是認」と見なし、その漸進的な廃止を主張した。
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