金関丈夫とは? わかりやすく解説

金関丈夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 19:18 UTC 版)

金関 丈夫
人物情報
生誕 (1897-02-18) 1897年2月18日
日本香川県仲多度郡
死没 1983年2月27日(1983-02-27)(86歳)
出身校 京都帝国大学
子供 金関恕(考古学者)
学問
研究分野 解剖学自然人類学
研究機関 台北帝国大学九州大学鳥取大学山口県立医科大学
学位 医学博士
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金関 丈夫(かなせき たけお、1897年2月18日 - 1983年2月27日)は、日本解剖学者、人類学者。

経歴

1897年、香川県仲多度郡榎井村(現:琴平町)に生まれる。松江中学校1919年7月第三高等学校卒業。1923年7月京都帝国大学医学部解剖学科を卒業、すぐに解剖学教室助手(足立文太郎教授)に就任[1]。1925年4月、同解剖学教室助教授。1930年9月に論文「琉球人の人類学的研究」を京都帝国大学に提出して医学博士号を取得した[2]。パリの人類学研究所に留学。

1934年、台北医学専門学校(1936年に台北医学専門学校は台北帝国大学医学部に改組)教授となる。終戦後も中華民国国立台湾大学教授として台湾に留まり、1949年8月に引き揚げるまで研究を続けていた。ちなみに、戦争中、金関丈夫の自宅は、米軍の空襲目標から外されていたと言われている。[要出典]

1950年3月、九州大学医学部教授となる。1960年に定年退官。1960年4月鳥取大学医学部解剖学教室教授、1962年4月山口県立医科大学(現:山口大学医学部)教授、1964年4月帝塚山大学教授に就任し1979年まで人類学調査を継続的に行っていた[3]

受賞・栄典

  • 1979年:「南島の人類学的研究の開拓と弥生人骨研究」の業績で朝日文化賞受賞。

研究内容・業績

人類学者として

  • 弥生時代の人骨を発掘・調査し、佐賀県の三津永田遺跡や山口県の土井ヶ浜遺跡で200体余りの弥生人骨を新たに発見した。そして、それらの弥生人骨の形態が朝鮮半島で出土した新石器時代人骨に似ていることから、日本人には大陸由来の遺伝子が関わっているとして「渡来・混血説」を主張した[4][5]縄文人が形を変えたとする「変形説」との間で論争を生み出した[5]。後年、遺伝子解析によって金関の正しさが立証された[5]
  • 人類学者として人骨標本の収集をした。そのため、後に琉球遺骨返還請求訴訟などが発生することになった[6]。自身も献体により標本となっている[5]

随筆・小説

  • 「山中源二郎」(やまなかげんじろう)名義で著述を行うこともあり、また「林熊生」(りんゆうせい)の筆名で小説も書いた。

家族・親族

  • 父:金関喜三郎
    • 本人:金関丈夫
      • 長男:金関たけし(解剖学者)
      • 次男:金関恕(考古学者)
        • 孫:金関たまき(バイオリニスト)
    • 弟:金関寿夫英米文学者)

著書

  • 『胡人の匂ひ』東都書籍〈南方叢刊〉、1943年
  • 『木馬と石牛 民族学の周辺』大雅書店、1955年 のち岩波文庫
  • 『発掘から推理する』朝日新聞社朝日選書〉、1975年 のち岩波現代文庫
  • 『日本民族の起源』法政大学出版局、1976年
  • 『南方文化誌』法政大学出版局、1977年
  • 『文芸博物誌』法政大学出版局、1978年
  • 『形質人類誌』法政大学出版局、1978年
  • 『琉球民俗誌』法政大学出版局、1978年
  • 『孤燈の夢』法政大学出版局、1979年
  • 『長屋大学』法政大学出版局、1980年
  • 『南の風 創作集』法政大学出版局、1980年
  • 『お月さまいくつ』[7]法政大学出版局,、1980年
  • 『船中の殺人・龍山寺の曹老人』第1輯・第2輯 林熊生 ゆまに書房、2001年

共著

括弧内は共著者名。

記念論集

  • 『日本民族と南方文化』金関丈夫博士古稀記念委員会(編)、平凡社、1968年

脚注





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