たいほく‐ていこくだいがく【台北帝国大学】
台北帝国大学
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台北帝国大学(たいほくていこくだいがく、旧字体: 臺北帝󠄁國大學、繁体字中国語: 臺北帝國大學)は、台北州台北市に本部を置いていた日本の帝国大学。略称は台大(たいだい、繁体字中国語: 臺大)。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、497頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 李恒全、「台北帝国大学設立計画案に関する一考察 : 幣原坦の設立構想を中心に」 『神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要』 2007年 第1巻 第1号, 45-64頁, doi:10.24546/80060006
- 1 台北帝国大学とは
- 2 台北帝国大学の概要
- 3 歴代総長
台北帝国大学
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詳細は「台北帝国大学」を参照 国立台湾大学の起源は、日本統治時代の1928年(昭和3年)3月16日に、台湾台北州台北市富田町で 7番目の帝国大学として設立される。大学設立の準備段階では当初「台湾大学」との名称が用いられ、その後、「台湾帝国大学」が用いられたが、「台湾帝国大学」では台湾帝国の大学との誤解が生じるとの理由から1927年に「台北帝国大学」に名称が決まった。 日本内地の帝国大学が文部省の管轄であったのに対し、台北帝国大学は台湾総督府の管轄であった。当初は文政学部と理農学部の二学部が設置され、1928年4月より開講した。さらに1941年(昭和16年)には予科(豫科)も作られた。1945年(昭和20年)度時点での学部構成は、文政学部、理学部、農学部、医学部、工学部であった。 国立台湾大学は、旧帝国大学としての連続性を有しつつ現在に至るため、台北帝国大学を前身として位置づけている。一方、ソウル大学校は京城(帝国)大学の廃校後に新設された経緯があるため、同大学校は京城帝国大学を前身とは位置付けていない。
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