山本由松とは? わかりやすく解説

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山本由松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 15:51 UTC 版)

山本 由松
やまもと よしまつ
生誕 1893年12月15日
日本 福井県今立郡片上村(現 鯖江市
死没 (1947-06-28) 1947年6月28日(53歳没)
中華民国 台湾
ツツガムシ病による病死
国籍 日本
研究分野 植物学
研究機関 台北帝国大学など
出身校 東京大学理学部植物学科
主な業績 台湾における植物の研究
影響を
受けた人物
早田文蔵
命名者名略表記
(植物学)
Yamam.
プロジェクト:人物伝
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山本 由松(やまもと よしまつ、1893年12月15日 - 1947年6月28日)は日本の植物学者である。台湾の植物の研究を行い、台湾で没した。

生涯

福井県今立郡片上村乙坂今北(現 鯖江市)にて誕生した。福井県師範学校を卒業し、惜陰小学校(現 鯖江市惜陰小学校)訓導(小学校の正規教員の旧称)を経て、広島高等師範学校に入学、その後、鹿児島第一師範学校教諭に就任した。1914年東京大学理学部に入学し、早田文蔵に師事した。在学中より台湾総督府中央研究所林業部の嘱託となり、台湾における植物研究に没頭した。1923年に東京大学の植物学科を卒業後、小石川植物学研究所に入所した。1928年に台北帝国大学理学部助教授、台北帝国大学農林専門部の教授となった。1933年アメリカ合衆国イギリスドイツに留学し、1934年、5巻の『続台湾植物図譜』を著し、理学博士となった。1939年ジャワ島スマトラ島などで採集旅行を行い、『蘭印植物紀行』を著した。翌年、海南島で研究を行った。著書に『海南島植物資料』、『台湾植物概論』などもある。1943年フィリピンから台湾に戻り、戦後も、中華民国政府の招きで台湾大学院教授を務めたが、1947年ツツガムシ病に感染して没した。

参考文献

外部リンク




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