早田文蔵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 労働 > 職業 > 植物学者 > 早田文蔵の意味・解説 

はやた‐ぶんぞう〔‐ブンザウ〕【早田文蔵】

読み方:はやたぶんぞう

[1874〜1934]植物分類学者。新潟生まれ東大教授富士山植物分布台湾インドシナ植物調査・研究し、独自の動的分類体系提唱した


早田文藏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 00:41 UTC 版)

早田 文藏
はやた ぶんぞう
早田文藏
生誕 1874年12月2日
日本
新潟県南蒲原郡加茂町
(現 加茂市
死没 (1934-01-13) 1934年1月13日(59歳没)
国籍 日本
研究分野 植物学
研究機関 東京帝国大学
出身校 東京帝国大学
命名者名略表記
(植物学)
Hayata
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

早田 文藏(はやた ぶんぞう、1874年12月2日 - 1934年1月13日)は日本植物学者

経歴

1871年、新潟県加茂生まれ。1903年東京帝国大学を卒業。台湾総督府の依頼で台湾の植物を研究し、さらにインドシナでも調査を行った。その後東京帝大理学部教授および東大附属植物園長となった。

台湾植物の命名にあたってはフランス人神父のユルバン・ジャン・フォーリー (Urbain Jean Faurie) が残した資料に拠る部分が多かったため、謝意を表するため日本人から寄付を募り、1917年に神父の銅像を建てた[1]

死後の1936年、台湾総督府は功績をたたえ記念碑を現台北植物園の腊葉館前に建てたが太平洋戦争の混乱により、フォーリー神父の銅像ともども行方不明となってしまった[1]。21世紀になって神父の銅像の金型が発見されたことにともないこれを復刻し、その際に早田の記念碑も新たに作成された。2017年9月30日に修復工事のおわった腊葉館中国語版とあわせ復活することとなった[1]

研究内容・業績

  • 台湾植物についてタイワンスギをはじめ1,636種を命名したことにより、「台湾植物の父」とも呼ばれる[1]
  • 「動的分類学」というものを提案した。これは恣意的に一部の形質のみに着目して系統樹を作成する従来の分類学に対し、多数の形質からネットワーク[要曖昧さ回避]的分類図式を作ろうとしたものであり、後の表形分類学に似た考えであるが、理論的には大成されずに終わった。

著書

台北植物園早田文蔵記念碑
  • 『台湾植物図譜』全10巻 台湾総督府民政部殖産局、1911年-1921年
  • 『植物分類学』内田老鶴圃、1933年

脚注




早田文蔵と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「早田文蔵」の関連用語

早田文蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



早田文蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの早田文藏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS