早田左衛門太郎とは? わかりやすく解説

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早田左衛門太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 05:11 UTC 版)

 
早田左衛門太郎
時代 室町時代前期
生誕 不明
死没 応永35年(1428年)頃
別名 林温(朝鮮名)
幕府 室町幕府
主君 宗貞茂宗貞盛
氏族 早田氏
兄弟 男(船越早田氏の祖)
六郎次郎、中尾弾正、四郎兵衛、都時羅、吾都音甫侍[1]
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早田 左衛門太郎(そうだ さえもんたろう、生年不明 - 1428年)は、室町時代前期の武士

本姓平氏で、対馬国下県郡尾崎を拠点として早田水軍・倭寇の首魁として活動した[1]

概要

応永20年(1413年)以降、朝鮮九州本土との貿易で利益を上げ、朝鮮側に官職を授けられた見返りに倭寇の鎮静化に助力している。

応永25年(1418年)に宗貞茂が死亡し、子の都都熊丸が若年で宗氏の家督を継いだ際、実権を左衛門太郎が握った。

応永26年(1419年)の応永の外寇では、早田氏が拠点としていた尾崎・船越が朝鮮軍により攻撃された。

応永33年(1426年)には朝鮮に要請し、蔚山の塩浦が倭人との交易の場として解放された[1][2]

系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
早田左衛門太郎
(家居土寄地)

(家居船越地)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
早田六郎次郎 中尾弾正 早田四郎兵衛 都時羅 吾都音甫侍 早田茂持 皮古都羅

脚注

  1. ^ a b c 日本遺産「国境の島[1]
  2. ^ 『水崎(仮宿)遺跡:美津島町文化財保護協会調査報告書第1集[2]



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