『日本の花嫁』事件
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1892年日本基督教会数寄屋橋教会の田村直臣牧師は、「仏教の影響下の家庭とキリスト教の影響下の家庭を比較」するため著書、『日本の花嫁』を出版した。これは、一般にもキリスト教界でも話題となり、1893年に植村正久の「福音新報」は、この本を批判した。10月に日本基督教会の中会は、井深梶之助、山本秀煌、熊野雄七の訴えにより、「同胞讒誣罪(どうほうざんぶざい)」で田村直臣を譴責1894年第9回日本基督教会大会で植村は、「此の問題に就ては最早多言するを要しない。先刻以来彼が自己を弁護する其の態度を見れば分る。此の如き人を我が日本基督教会の教職として認むるべきか何うか、是また自づから分明である。」と述べた。大会は「日本国民を侮辱したるもの」として、田村直臣を牧師から免職した。
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『日本の花嫁』事件
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新聞『日本』、『萬朝報』がこの本を非難し、日本の200以上の新聞が『萬朝報』の論説を転載した。 キリスト教牧師である植村正久は1893年、『福音新報』127号で田村を非難した。 「『日本の花嫁』は記して曰く、我らは愛と禽獣的の情欲とを同一視す。曰く、わが人民は清潔なる愛を味わい知らず。曰く、日本にては、父親は無限独裁の君主なり。万権これに属す。曰く、親は児女の婚嫁のみに熱心して、その将来の幸福繁栄を慮ることなし云々。この類枚挙するにあらざるなり。これ真実に日本の社会を写し出せるものに非ざるなり。」 「今、田村氏は上文のごとき奇怪なる文字を弄して、同胞を外国に誹れり。我輩は氏のために深くこれを愧じ、またこれを悲しまんずばあらざるなり、よし真実なることにもせよ、自国の事は一々これを外国に告ぐるの必要なし。或いはこれを隠蔽するの義務あり。況や虚妄の記事を列ねて自国の恥辱を海外に風潮(原文ママ)するをや。我輩この種類に属する著書の軽薄を爪弾きす。」 他にも教界の『基督教新聞』、『女学雑誌』もこの本を非難し、日本キリスト教婦人矯風会は絶版を求めた。キリスト教青年会(YMCA)理事の職からは追放された。 さらに、井深梶之助、山本秀煌、熊野雄七により、日本基督教会の教会法廷に告発される。告訴状には「本書記述の体裁軽佻浮薄にして虚実を混淆し妄りに日本人民の恥辱となるべきことを記載したり。是即ち同胞を讒誣(ざんぶ)したるものにして、日本基督教会教師の職を汚したるものとす」とある。 中会の教会法廷は「同胞讒誣罪(どうほうざんぶざい)」で田村直臣を譴責した。 判決を不服とする田村は大会に上告した。彼は社会風俗に対して批評したのであって、信仰的な異端を唱えたわけでないのだから、教会法廷の判決は不当であると主張した。 大和連合会基督青年会は中会の判決直後の10月6日『基督教新聞』に公開書簡を発表した。 「現今我国においてキリスト教伝道の妨害となるもの固より一二にしてたらず。されどもキリスト教をもって非忠君愛国となす悪感情および誤解の何となく全国に伝播せることは確かにその一にして旦重大なるものならざるべからず。故に今の時にあっては吾輩キリスト教徒は宜しく全国の同胞にむかってキリスト教の本旨根拠を明弁すると同時に我輩キリスト教徒の陛下および吾国家に対する赤心を示してもって同胞を安堵せしめざるべからざるなり。しかして時も時なれや何ぞ図らん田村氏日本の花嫁事件出んとはその口悪き反対者および浅見なる非キリスト教者のために嘲罵ざん書の新たる材料引証を与えたるこそ賢けれ」 1894年第9回日本基督教会大会で植村は、 「此の問題に就ては最早多言するを要しない。先刻以来彼が自己を弁護する其の態度を見れば分る。此の如き人を我が日本基督教会の教職として認むるべきか何うか、是また自づから分明である。」 と述べた。 大会では中会よりさらに罪状と処分が重くなり、大会は「日本国民を侮辱したるもの」として、田村直臣を牧師から免職した。「教職を免ず」とする判決を下した教会法廷の判決文は次の通り。 「そもそもこの著書は国民の面目を犠牲となして金銭を博したるものにして即ち同胞を海外に侮辱しみだりに本邦人の名誉を毀損せる者なり」。 井深梶之助は、「物には内外の別あるもの也然れども花嫁著者は日本国民の恥辱となるべき事を外国語を以って外国に於いて著述したり」と述べ、押川方義は「我が祖先が遺したる高潔なる親子間の道徳を誣て海外に恥しむる」と言った。 無教会主義の内村鑑三は判決に満足の意を表明して述べた。 「宗教は国家観念のうえに立つものなることは余輩の充分是認するところなり。されども国家の名誉を犠牲に供し、国家を辱めて伝布する宗教は邪道なり」
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