日本にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 05:53 UTC 版)
1950年代において南極は未だ未知のフロンティアであり、そこへの観測隊派遣は国家的な一大科学プロジェクトと位置づけられていた。特に敗戦から間も無い日本にとって初となる南極地域観測隊の派遣は、国家再建と科学技術の復興を世界にアピールする絶好の機会として国内から高い関心が集まり、その準備も入念に行なわれた。 当時の外国の極地探検記では、隊員がノイローゼに陥り自傷他害の惨事を引き起こす事例がしばしば報告されていた。原因として第一に考えられたのは、太陽が長期間出ない極地ならではの極夜という気象条件だが、長期間の性的禁欲生活が与えるストレスも無視できない要因と考えられていた。かくして、南極での越冬隊を準備するにあたって医療部門の医師らは検討を重ね、特に若い男性隊員の性的エネルギーを発散させる何らかの方策が必要との結論に達した。そして、自らも越冬隊員となる医師の中野征紀の発案により、女体を模した性具人形を用意することになった。とはいえ当時はダッチワイフのような性具は薬事法などで厳しく取り締まられており、中野を中心とする医師らは全国を探し回った末、東京・浅草橋の人形問屋に1体あたり5万円で2体の人形制作を依頼した。 出来上がった人形は、備品としては報告されることのない曖昧な位置づけのまま、南極へ向かう観測船・宗谷に人知れず積み込まれた。
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