シベリア小艦隊で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:00 UTC 版)
「ジェムチュク (防護巡洋艦)」の記事における「シベリア小艦隊で」の解説
1905年のロシア第一革命ではジェムチュク乗員も反乱をおこし、ウラジオストクの暴動に加わった。動揺が抑えられると乗員は逮捕され軍法会議にかけられた。 1905年から1910年までジェムチュクはウラジオストクを母港としていたが、修理が十分ではなく短期間の哨戒や時々行う朝鮮、日本、中国への航海しかできなかった。1910年の大半は整備に費やされ、1911年にはシベリア小艦隊の旗艦になった。1912年には予備役となり、1913年から1914年まで上海の外国人居留地や長江でロシア国民や経済権益を守る警備艦となった。1914年5月、ジェムチュクはウラジオストクに戻り、男爵のI. A. Cherkassov司令官が艦長となった。
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