シベリア出兵に従軍
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旧松本藩士・台湾総督府官吏、安江仙政の長男として現在の秋田県秋田市中通4丁目で生まれた。安江が生まれた家は、平田篤胤の生家であった。 京華中学校、陸軍中央幼年学校予科(のちの東京陸軍幼年学校)、陸軍中央幼年学校を経て、1909年5月、陸軍士官学校(21期、同期には石原莞爾(陸軍中将)、樋口季一郎(陸軍中将)がいる)を卒業し、陸軍歩兵将校となった。 1918年、シベリア出兵に出征し、シベリアでグリゴリー・セミョーノフなど白衛軍の将校と接しているうちに、『シオン賢者の議定書』という反ユダヤ主義の古典の存在を知り、日本に帰国後同書を翻訳。1924年、包荒子のペンネームで『世界革命之裏面』という本の中で初めてこの本の全文を日本に紹介した。忠君愛国の精神で育った安江らにとって、ロシアの君主制の短期間の崩壊は驚愕であり、それを「合理的に」説明する理由が必要だったのである。
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