『シオン賢者の議定書』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)
「反ユダヤ主義」の記事における「『シオン賢者の議定書』」の解説
詳細は「シオン賢者の議定書」を参照 1895年、ロシア警察に保管されていた『ユダヤ教の秘密』という文書では、ユダヤ人はキリストを十字架にかけた時から壮大な陰謀を仕組み、キリスト教を世界に普及させた後でキリスト教をあらゆる手段を用いて破壊すると計画したとされたが、この文書は皇帝に提出されなかった。 他方、1897年にはユダヤ人労働者政党ブンド(Bund)が結成された。 ロシア帝国内務省警察部警備局パリ部長のピョートル・ラチコフスキーが作成を命じた『シオン賢者の議定書』(1899年から1902年にかけて成立)では、シオンの賢者らがユダヤ人専制君主を全世界の法王とするためにフランス革命を起こし、世界すべての民をユダヤ教の前に平伏させることを目的としていると書かれた。こうした陰謀論は、イエズス会、フリーメイソンを悪役とする陰謀論でもみられた。しかし、ストルイピン大臣が憲兵隊に調査を命じると、偽書であることが判明したため、皇帝ニコライ2世はこの文書の廃棄を命じた。ラチコフスキーはその後、反ユダヤ団体黒百人組のロシア民族同盟の結成に関わった。また、当時のロシア宮廷にはパピュスことジェラール・アンコース(フランス語版)等のオカルティストがコネクションを有しており、『議定書』の草稿のロシアへの持ち込みに関与したユリアナ・グリンカも神智学に傾倒していた。 ロシアでのユダヤ人行政が強硬になると、ユダヤ人はアメリカ合衆国へ移住したり、またユダヤ人の間では、パレスチナへの愛とシオニズムが広まっていったが、1903年にはロシア政府がシオニズムを禁止した。 ロシア革命が発生すると、『シオン賢者の議定書』はロシアだけでなく、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、日本でも翻訳され流布していった。1921年8月に英『タイムズ』紙が議定書は捏造であると報道し、この文書は沈静化したものの、反ユダヤ主義的言動は各地で継続した。
※この「『シオン賢者の議定書』」の解説は、「反ユダヤ主義」の解説の一部です。
「『シオン賢者の議定書』」を含む「反ユダヤ主義」の記事については、「反ユダヤ主義」の概要を参照ください。
- 『シオン賢者の議定書』のページへのリンク