與田純次
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與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )(別名:與田治郎右衛門) は、日本の実業家[1]、戦争体験語り部[2]。元大使館員[1]。兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)出身。長男は東邦大学医学部医学科教授(医学博士)の与田仁志。元阪神タイガース監督兼選手の村山実、神戸大学名誉教授(農学博士)の保田茂は妻の従兄弟にあたる。2017年、父の代まで十数代に渡り襲名されていた名跡、與田治郎右衛門(よだじろうえもん)を襲名[3]。
- ^ a b 『致知』(2017年2月号、致知出版社) (株)元庄屋 代表取締役会長、與田純次(91歳)「生涯現役 "嫌な仕事にはこちらから飛び込んでいく"」
- ^ 神戸新聞(2016年8月16日)「シベリアの収容所、シラカバの皮で手作り。トランプに苦難の記憶。」
- ^ 神戸家庭裁判所豊岡支部 審判
- ^ 資料「浜田・外ノ浦港客船帳」
- ^ 神戸新聞・2012年9月27日「元庄屋の松」
- ^ 『この記録わすれまじ』(1979年、独工十八柳生会編) 隊員名一覧
- ^ 「みんなの戦争証言アーカイブス」(2016年、特定非営利活動法人8bitNews) "與田純次さんインタビュー"
- ^ 産經新聞 ・1976年1月19日「シベリアの思い出いっぱい、シラカバのトランプ見つかる」
- ^ 『致知』(2017年2月号、致知出版社) 103ページ
- ^ 関西電力・でんかライフ.com 企業インタビュー
- ^ http://yodajunjiyodajirouemon.crayonsite.com
- ^ 神戸新聞・2016年8月16日「シベリアの収容所、シラカバの皮で手作り。トランプに苦難の記憶。」
- ^ 『致知』(2017年2月号、致知出版社)「生涯現役」"嫌な仕事にはこちらから飛び込んでいく"
- ^ 『シベリア慰霊訪問記』(1997年、全国強制抑留者協会編) "シベリア慰霊訪問団に参加して"
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