しのだひでお
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しのだ ひでお(1939年11月15日[1] - 2022年8月20日[2]、本名:篠田英男[1])は、日本の漫画家。元大垣女子短期大学教授・副学長。鳥取県日野郡溝口町(現・西伯郡伯耆町)出身[1]。篠田ひでおとも表記。もっぱら小学館の学年誌や学研の雑誌等に掲載される児童漫画の領域で活躍した。
- ^ a b c d まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、185頁
- ^ a b c 西山恭平 (2022年10月26日). "漫画家しのだひでおさん死去 わかとり国体のキャラデザイン 伯耆出身". 日本海新聞. 2022年10月26日閲覧。
- ^ a b 『ドラえもんの発明教室』1巻奥付より
- ^ a b 『定本 コロコロ爆伝』 2009, pp. 182–184.
- ^ 藤子・F・不二雄大全集『ベラボー』「解説 しのだひでお」p405
- ^ しのだひでお「よみきり その手を見ろ」『少年クラブ』46(8)、講談社(大日本雄弁会講談社)、東京、1959年8月、国立国会図書館サーチ:R100000039-I1798803。
- ^ しのだひでお「野球凡太郎」『少年クラブ』46(10)、講談社(大日本雄弁会講談社)、東京、1959年9月、国立国会図書館サーチ:R100000039-I1798805。
- ^ しのだひでお「いたずらきょうだい」『少年クラブ』47(1)、講談社(大日本雄弁会講談社)、東京、1960年1月、国立国会図書館サーチ:R100000039-I1798809。
- ^ “宇宙時代に挑戦 クイズ21世紀 - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2023年3月2日閲覧。
- ^ “世界珍奇コンテスト - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2023年3月2日閲覧。
- ^ “夏休み大作戦 - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2023年3月2日閲覧。
- ^ 『小学一年生』小学館、東京、1971年10月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746584。
『小学一年生』小学館、東京、1971年11月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746585。
『小学一年生』小学館、東京、1971年12月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746586。
『小学一年生』小学館、東京、1972年1月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746587。
『小学一年生』小学館、東京、1972年3月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746590。
『小学一年生』小学館、東京、1972年4月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746591。
『小学一年生』小学館、東京、1972年5月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746592。
『小学一年生』小学館、東京、1972年6月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746593。
『小学一年生』小学館、東京、1972年7月。国立国会図書館サーチ:R100000039-I1746594。 - ^ “パンパカ学園 - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2023年3月1日閲覧。
- ^ 清野貴幸 (2022年10月28日). “国体キャラをデザイン 県出身の漫画家しのだ氏の追悼展”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2023年3月3日閲覧。
- ^ しのだひでお『ドラえもんのもの知り統計博士』藤子不二雄 原案、日本経済教育センター、1985年。国立国会図書館サーチ:R100000001-I18111103188349。
- 1 しのだひでおとは
- 2 しのだひでおの概要
- 3 脚注
しのだひでお
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「まいっちんぐマンガ道」の記事における「しのだひでお」の解説
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